冷たい夏

02 

 普段なら気にも留めないような違和感。この道は頻度こそ少ないものの始めて通る場所ではない。それなのに、私は初めて、その存在に気が付いた。そう……雑木林の中に脇道の存在に。
「こんな道……あったっけ?」
 木陰に移動し暫く足を止め記憶を辿る。目の前には、林の中へと続く獣道が存在しているのだが、記憶の中にこの様な道を見た記憶は一切無い。
「まぁ、見落としていたのかも知れないな」
 しかし、普段から昼行灯である私は、こういった地理に関する情報の正確さに余り自信が無かった。自分の頼りにならない記憶など宛にしても仕方がないと。道が有ろうが無かろうが、そんな事は些細なことで、どちらでも良いことには違いが無い。確かにその違和感は気になりはしたが、子どもの頃のように冒険心を優先したいとは思えず、私は再び本に視線を戻し帰路を歩き出す。
「…………」
 だが、その足は直ぐに動きを止めることとなった。
「…………」
 風に乗って聞こえてくる小さな音。
「…………」
 耳を澄ませることで判るのは、それが誰かのか細い泣き声だという事。いま一度、本から顔を上げ音の出所を探す。どうやらこの音は、先程見つけた脇道の先から聞こえてくるようだった。
 音の正体を知りたい。そんな好奇心から、足は自然と脇道へ向かってしまう。奥に進むにつれ、それは幅を細め、両脇に生い茂る草の丈が高くなる。どうやらこの道は、普段は全く使われていないもののようだ。
 草や藪をかき分けるようにしてどんどん先に進むと、突然足の裏に伝わる感触が変わり、開けた場所に出た。
「……ここは……」
 しっとりと湿った土と綺麗に刈られた草。林の中に現れた空間はそこだけ空気が異なっている。更に足を進めると、目の前に小さな祠が現れた。
「こんな場所に祠があったなんて……」
 吸い寄せられるように祠の正面前に立ち呟いた言葉。祠の外観に特徴は見当たらず、その形はよく目にするような一般的な形と変わりがない。状態から見ると建てられてから随分と年数は経っているようで、その証拠に外壁の所々にはこびり付くようにして苔が付着していた。しかし、完全に放置はされているというわけでは無いようである。何故なら張られたばかりの蜘蛛の巣は真新しく、祠の屋根に落ちた葉の枚数は手で摘めるほどの枚数しかない。誰かに管理されているものなのか、それなりに綺麗に整備はされているようだった。
「何が祀られているんだろう……」
 祀神が何で有るのか。そこに興味が湧き周りを調べてみる。
「手掛かりは無し。か」
 祠を開けてしまえば簡単に判ることだが、しめ縄で封印されたそれを破ってまで中を見たい訳では無い。結局、この祠について判る情報で新しいものはこれと言って得られなかった。
「うーん……」
 暫く唸りながら祠を見ていると、ふいに背後から先程の泣き声が聞こえてきた様な気がして振り返る。
「……さらに道がある?」
 振り返った先。左斜め後方に、更に林の奥へと続く道が続いている。風に乗って耳に届く音はその奥から聞こえてきているようだ。
「行ってみるか」
 先に進む事に迷いが無かった訳では無い。しかし、此処まで来たのなら進むのも戻るのも大差は無い。何も得られずただ引き返すよりも、芽生えた好奇心を満たすことの出来る可能性の方がずっと気になって仕方ない。そんな気持ちから、私は更に奥に足を進めることに決め歩き出す。

 奥に進めば進むほど緑が濃くなる。騒がしいほどの蝉の声が周りに反響して耳障りに響く。生い茂る木々のせいか、濃度を増す緑は、徐々に彩度を失い黒に近い色に変化していた。
 空を隠す枝葉は光を遮り明るさを奪う。道は祠へ続く獣道よりも、随分状態が悪くなっており、時々草に隠れた木の根に足を取られて転びそうになった。歩きにくさに覚える苛立ち。もう引き返そうかと考え始めた頃だ、漸く前方に光が差したのは。
 やっとの思いで道を抜けると、先程と同じような開けた空間に出た。ただ先程とは異なっているのは、目の前に無機質な石が立ち並んでいるということだ。
「……これってまるで墓場じゃないか」
 よく見ると、それぞれの石に文字を彫った様な跡があるのが判る。奥の方を見れば、石に寄り添うようにして卒塔婆も見える。
「……妙な場所に来てしまったなぁ」
 偶然とは言え、やはりこのような場所に来るのは気分が宜しくないもので。

 ゾクリ…

 背中に寒さを感じて肩を振るわせる。出口は何処かと辺りを見回すと、違和感を感じる場所を見つけた。近付いてみると、それが小さな墓石であることが判る。他の者に比べて荒れている所を見ると、誰も手入れをしては居ないらしい。石は所々苔が附着し、彫られた名前も風化して余りよく見えない。他の墓石に隠れるようにひっそりとあるそれは、酷く貧相に見えて仕方なかった。
「少し似ているな」
 墓石に重ねるなんて縁起でもないが、自分の格好とこの墓石が何となく被って見えて私は小さな笑みをこぼす。
「こんなに汚れて…可哀相に…」
 少し離れた所に見つけた小さな花。名前も知らない花ではあったが、丁寧に摘むと再び墓石の前に戻る。
「線香も何もないが、せめて花だけでも……」
 摘んできた小さな花を墓前に捧げると静かに合わせる手。瞼を伏せ、暫く祈りを捧げると、不意に声をかけられ驚いた。
「ありがとうございます」
「……え?」
 振り返ると少し離れた場所に女が立っているのが見える。何時の間に現れたのだろう。その人の気配に全く気が付けなかったことに対して感じる焦り。
『……もしや……幽霊?』
 あり得ない状況と、突然訪れた非日常。そのせいか、私の心臓は早鐘のように鼓動を打つ。
「ありがとうございます」
 それをしってか知らずか、女は再び口を開いた。
「……あ……いえ、その……」
「名も知れぬ方がこのように花を手向けてくれるなど、夢のようです」
 女は言いながらゆっくりと近付いてくる。
「姉も喜んでいるかと思います」
 直ぐ傍までやってきて、見せる柔らかく微笑み。
「あっ……」
 よく見ると、きちんと両脚は揃っている。確かにそこにある存在は、どうやら生きている人のようで、どうやら幽霊という訳ではなさそうだ。
「申し遅れました。私、ぬいと申します」
 彼女はそう言って、手を合わせていた墓石に向かい合うようにして私の隣で静かにしゃがみ込んだ。

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