シュガー・シュガー

01 

 いつだって定位置は決まっている。それは店の一番奥、窓側のボックス席。少しだけ暗い照明のせいで目立たないこの位置は、誰からも干渉されずにゆったりと出来るお気に入りの場所だ。
 今日もまた一人。荷物は必要最小限だけ。鞄一つで通りを歩き、通い慣れた店の前で足を止める。
 今日は一体がオススメなのだろう?
 店頭に飾られた黒板には、本日のオススメメニューが幾つか。チョークアートなんて洒落たものでは無く、読めればいいやと割り切った文字で書かれたそこには、この店の看板メニューと本日のスペシャルメニューが一つずつ。あとは定番の軽食が何品か。値段を軽く確かめてから、アンティークなドアのノブに手を掛け扉を開く。透き通った音を立てて鳴ったベルが、決して広いとは言えない店内に軽やかに響いた。
「いらっしゃい」
 聞き馴染みの声もいつもと同じ。この店の店長がカウンターの向こうから、人の良さそうな笑顔を浮かべて手を挙げている。
「今日も、あの席を借りるよ」
「ああ、判っているさ」
 何年も通っていればいい加減言わなくても分かる。そう言いたげに苦笑を浮かべた後、店長はどうぞと片手で奥の席を案内した。
「今日も、相変わらずな感じだね」
 見たところ、店内に客の姿が見当たらない。
「そりゃあ、この時間だからね」
 壁に掛けられた時計に目をやれば、時刻は漸く午前九時を少し過ぎたところだ。
「そうか。まだ、こんな時間」
 店頭にもう黒板が飾られていることで勘違いしたよと厭味を言えば、お前はいつも来るのが早すぎるんだと返されてしまった。
「この店に通うことが俺の仕事ですから」
 これもいつも通りのやりとりの一つ。奥の席に向かう途中でカウンターに寄り、一言断ってから新聞を手に取る。
「朝食は食べたのかい?」
「いいや。今日は起きて直ぐにこっちに来たから」
 そう言って笑うと「そうだろうな」と溜息を吐かれる。
「何で判るのさ?」
「そりゃあお前さん、今日は一段と寝癖が酷い」
 後でトイレの鏡で見ると良い。店主は言いながら髪の毛を指差し笑う。
「ああ、成る程。そういうことかぁ……」
 癖の有る自分の髪に手櫛をあてると、それほど手入れのされていない髪の毛が所々指にかかってしまった。日頃から格好に無頓着なのと、余り行動にバリエーションがないせいでこの店と家を往復するようになってからは、益々格好がずさんになる始末。
「もう少し身なりをきちんとすれば、女性が放っておかないだろうに。勿体ないなぁ」
 自分の見た目なんて自分では善し悪しが分からない。だからそういう他人の評価に驚きながら、困ったように頭を掻きこう答える。
「今はそれどころじゃないさ。仕事の方が女性に気を遣うよりもずっと楽しいからね」
 何を優先にするかは人それぞれである。店長は「お前さんの感性は判りかねるね」と言いながら一度奥の厨房へと姿を消した。

「さて…」
 店の一番奥、薄暗い窓際のボックス席。二人掛け用の革張りのソファに深く腰掛けると、借りた新聞を広げ掲載された記事に目を通す。新聞の内容に興味があるわけでは無く、面白い情報が見つけられた訳ではないが、それでもここ最近起こっている世の中の出来事知るためには、この紙の束はとても効率がよかった。
「最近…物騒になったな」
 数日前に起こった殺人事件。未だに解決されておらず、警察が情報を求めているという行を見付け寄った眉間の皺。
「早く犯人が捕まれば良いんけど…」
 音を立てて頁を捲る。政治面、社会面、経済面、芸能面。それほど目新しい情報がある訳ではない。スポーツ面にまで到達すると、割とお気に入りのチームがトーナメント戦で優勝したというタイトルが目に飛び込み、思わず顔が綻んだ。
 ある程度目を通した後、新聞を畳んで机の上に放り投げる。
「ふぅ…」
 背もたれに身体を預けて目を伏せたタイミングで香ってきたのは食欲をそそるような良い匂いだった。
「寝る前に先ずは飯を食ってしまえよ」
「あっ」
 瞼を開くと、プレートとカップを持った店長が目の前立って居た。
「あー……ありがと」
 身体を起こすのとプレートが机の上に置かれるのとはほぼ同時だ。
「簡単なものしか出してやれんがな」
 言葉の通りメニューはホットサンドが二つとココットに入ったシンプルなサラダ。半分にカットされたゆで卵は半熟で、おまけで付いてきた湯気を立てるコーヒーが一つ。
「食わせて貰えるのなら文句は言いません」
 幼い頃からの癖で形式的な言葉を呟くと、フォークとナイフを手に取り出されたばかりの朝食に口を付けた。
 切り分けたホットサンド。中身はハムとトマトに熱で良い具合にとろけたチーズ。切り分けた際に中からそれらが溢れ出し、我先にと皿へと逃げ出していく。
「おっと」
 フォークを使い器用に絡めると溢れた具材を口の中に放り込む。まだ熱を持つシンプルな食べ物は軽く舌を焼き小さな痛みが走った。
「熱ちっ」
「はは。慌てすぎだぞ」
 水は居るか? と聞かれ少し考えた後素直に頷く。
「それじゃあ、待ってな」
 離れていく店長の後ろ姿。舌を出して手で軽く仰ぐが、中々痛みは消えていかない。
「ほらよ」
 音を立てて置かれたグラスの中には、氷を浮かべた透明な液体がゆらりと揺れていた。

 見た目は軽い食事。だが、想定よりも量があり、食べ終わる頃には腹が膨れるなんてことも多い。
「ふぅ…」
 グラスの中に残った水を一気に煽ると小さく吐く溜息。皿の上に乗せられていた食べ物達は、既に跡形もなく、綺麗に胃袋の中へと片付けられていた。
「ご馳走様」
「いえいえ」
 下げられていくプレート。持っていたグラスをテーブルの上に置くと、ぼんやりと窓の外を眺める。時刻は九時三十分。通勤の時間が過ぎ街は徐々に落ち着き始めている。
「矢張りこの時間は落ち着いて居るね」
 隣に人の気配を感じたから視線を逸らすことなく声をかければ、店長は笑いながら「当然だ」と答えた。
「この時間にウチに居るのはお前さんくらいなものさ」
「そうかい。そりゃあ良い褒め言葉だ」
 店内に響くのは二つの笑い声。
「さて。今度はどんなお話を書いているのかな?」
 向かい側の席に新聞を持った店長が腰を下ろす。
「何てことは無い。どこにでもありそうなミステリー小説さ」
 鞄の中から取りだしたメモに目を通しながらその問いに完結に答えた。

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