ホムンクルスの見た夢

10 

 見透かされている。
 周りの人間が自分の事をどう見ているのかが判らない。
「入れ込んでいるつもりは無いわ」
 判っている。それは只の言い訳だと言うことは。入れ込んでいるつもりは無くとも、確実に一個体の実験体を贔屓している事など、誰がどう見ても一目瞭然なのだろう。それの処分が決まったと伝えられてからは、色々と無茶な事もしたのだ。
「……嘘よ……」
 俯いた視線が捉えたのは自身の掌。何も無い。何も持ってなど居ない、空っぽの両手。
「アダムが手に入れた果実には、一体どれ程の知恵が詰まっていたっていうのよ」
 何も無い両手を握ると一華は壁に背を預け白い天井をぼんやりと眺めた。

 神に与えられた物だけでは満足出来ず、禁忌を犯し手に入れた果実。それに対する代償は、居心地の良い楽園を追放される事だと、かの有名な書物には記されている。
 飽くなき探求心は絶えることがないだろう。謎が深まればそれだけ答えを渇望するように、欲望が大きくなればそれを満たす為に必死に空白を埋める為の何かを求めてしまう。そう。新たな可能性が見つかる度、充たされぬ欲求はただ大きくなるばかり。もしかしたらそれは、断ち切れることの出来ない鎖と同じなのかも知れない。
「……いいえ、そうじゃない」
 それは縋るものを求めた者達が描き出した幻想の出来事。長い間語り継がれ、様々な解釈を加え完成された物語は、実際には存在しない偶像に救いを求めるためのものなのだ。だから、信じるか信じないかはそれぞれの価値観に委ねられる。一華にとって、その物語はただの書物で、ただの学術としてしか捉えられていない。
 今更神に許しを請うなんて。そんな考えは柄じゃない。
「始めから、分かっていた事じゃない。私たちの方が異常なんだって事くらい」
 我ながら馬鹿馬鹿しい思想に囚われてしまったものだと首を振る。信仰と現実を天秤に掛けたところで、一華の答えなど始めから決まっている。目で見えないものは信じられない。実際に起こる現象しか認められない。それが自分の考えであり、理念だと自らに言い聞かせ、足を進める廊下。しかし、何故だろう。考え事をやめることは難しかった。
「……何でよ」
 廊下を移動しながら考える癖は、昔は無かったものだ。それなのに、最近ではその回数が多くなってきている。原因は分かっている。だがそれを認めることはしたくないと一華は思う。
 気が付けば目の前には一枚のスライドドア。IDパスを翳し、システムに登録された指紋を照合させると閉ざされていたそれは呆気なく開いた。
 機材の置かれた部屋を横切り向かったのはミーティングルームだ。
「戻ってきたのか、一華」
「ええ。済まなかったわ」
 部屋には既に、数人の人間が集まっている。一華の存在に先に気が付いたのはライリーだ。彼は直ぐに立ち上がり側まで来ると、心配そうに顔を覗き込んだ後、軽く彼女の肩に手を乗せこう続ける。
「大丈夫そうか?」
「問題ないわ。大丈夫」
「そうか」
 軽く肩を叩かれた回数は二回。その後大丈夫なら良しとでも言うように、一華の頭を撫でた後、ライリーは彼女を誘い椅子に腰掛けさせる。差し出された書類は、日付の欄が空白のままのタイムスケジュールだ。
「これが今回の一覧だそうだ」
「…………」
 受け取りたくないと心が拒否しても、それを悟られるべきではないと体は動く。手元の資料に目を通せば、そこには読みたくもない文字がびっしりと印字され並んでいた。
「……はぁ」
 正直気が滅入って仕方が無い。どうしても無意識に拒否反応が出てしまう。何故だろう。視覚情報として入ってくる文字の羅列が、蚯蚓がのたくった物にしか見えないのは。
「……ちょっとまって」
 それでも必死に印字された文字を追い、漸く辿り着いた項目で一華は手を止める。
「出来れば今日行いたいって、これ」
 数枚捲った書類の下段の方。日程を行いたいという予定が書き込まれた指示部分を見つけ、彼女は驚いた。そこには『なるべく早くデータを採取したい為、不可能でなければ本日にでも実験を行いたい』と記されているようだが、これは見間違いだろうか。
「早すぎるでしょう? 実験を行いたいという話が出てまだ……」
「半日くらいしか経ってないな」
 隣に座るライリーが示したのは半日という時間。それは、一華が上司のオフィスで倒れてから、今この書類に目を通しているまでの時間のことを示していた。
「半日っですって? それじゃあ、私が話リンゲン所長から話を聞かされてから、そんな短時間で決まってしまったって言うの? 何でよ! 私の意志は!?」
「だからこうやって最終判断をお前に任せてあるんだろう?」
 困ったように肩を竦めながらライリーが苦笑を浮かべる。
「そんなの勝手すぎる! どういう事ですか! 所長!!」
 そう言って上座に座る上司を睨み付けるが、彼は苦虫を噛みつぶしたような表情を浮かべただけで口を閉ざし視線を逸らす。
「……正直僕も早すぎると思います。何故こんなに急がされるているのか、その意図が分かりません」
 場に下りる重たい空気。憂鬱な面持ちでそう呟いたのは城戸で、広げられた書類の上で懺悔を行うかのように両手を組み俯き言葉を続ける。
「でも……それでも僕たちは末端でしかないんだよ、一華サン。上がそう決めた以上、僕たちに選択権はない。逆らうのは得策じゃないとは思ってる」
 余り乗り気ではないが仕方はない。城戸が言いたいことは痛いほどよく分かる。
「それでも……」
 割り切れない感情というものがある。決断を急かされても下せないこともあるんだと、一華は首を振る。
「………すいません。少し猶予を貰えませんか?」
 絞り出したのは了承ではなくそんな一言。
「せめて、後一日だけでも……」
 部屋を満たす沈黙。暫し誰も口を開かず、ただ時間だけが過ぎていく。
「……仕方ない」
 その沈黙を破ったのは、上司であるリンゲンだ。
「確かにプランを急ぎすぎた感が無いわけではないからな。成るべく早めに返事を貰いたいのだが、それは明日に持ち越そう。上にはそう報告しておく」
「すいません。有り難う御座います」
「辛い決断を迫っているのは分かる。申し訳ないが、検討の方頼んだぞ」
 決断を下すことを辛いと感じている一華同様、それを受け止め報告する責務を背負ったリンゲンも同じように辛いと感じているのだろう。チームを統括するリンゲンにとって、部下の背負う責任は自分も同じように背負うものだと認識している。だからこそ、それを強いることで部下が傷つくのは、見ていて辛いんだと。
「では、私はこれで」
 そう告げると、彼等の上司は重い足取りで部屋から出ていってしまった。
「……こう言うのはやっぱり嫌ですよね」
 残された室内。隣に立つ城戸の手が一華の肩に触れる。
「城戸君……」
 切りそろえられた紙の束。書類を持った手に力が入るのは、これから下さなければならない決断から逃れたいという意思のせい。強い力で握られた部分が、歪な皺を作っていく。与えられた時間は少ない。それまでに覚悟を決める必要があるようだ。

 毎日が代わり映えの無い生活。なんて。気楽に思えない日もあるんだなとネアンは思う。
 何故だろう。今日は朝から、一華の元気がないと感じるのは。
 とはいえ、元より感情の起伏が少ない彼女の事だ。そのせいで、一見しただけでは、その変化には気付く事が難しいだろう。それでは何故、ネアンにそれが判ったのかというと、それは単純に、彼が常に一華という人物に興味を持ち、彼女のことを日頃から注意深く見ているからだった。
「大丈夫?」
 ネアンの白い大きな掌が一華の頬に触れる。
「ええ。平気よ」
 微かに体が強張ったのを指先から感じたが、それに気付かない振りをしてネアンは柔らかく微笑む。
「なら良かった。一華が元気ないと僕も哀しくなる。一華が平気で安心した」
 無意識に重ねようと持ち上がる自分の手。それに気が付き慌てて腕に力を込め、その衝動を抑え込む。随分と必死な自分自身に対して零れた乾いた笑い。これ以上、こちらから相手に触れるということは避けた方が良いと頭で聞こえる警告音。分かっている、分かっていると、一華は何度も心の中で繰り返す。
「今日は何をする予定?」
 触れた指先はそのままに、ネアンは今日のスケジュールを確認してきた。
「今日は、久しぶりにデータを採取したいの。お願い出来るかしら?」
 顔を上げることなくそう問えば、ネアンが素直に頷く気配が感じ取れた。
「そう……助かるわ」
 熱を惜しむように一本ずつ消えていく指先の感触。完全にそれが離れてしまったところで、一華は振り返りドアを開く。
「行きましょう」
 一華の足は既に室外に出てしまった。ネアンもそれを追うように後に続く。そこからは互いに一言も言葉を交わさないまま。普段なら他愛無く行われる会話も、今日はその糸口が見つからない。普段と異なる空気だけは肌に感じるのに、その違和感をどうしたら拭うことが出来るのか分からないまま、ネアンは一華の後を追い足を動かす。
「…………時間は元には戻せないんだよ、一華……だから……」

 早く気付いて。

 長針と短針が規則的に回れば、時間という単位は先へ先へと刻まれ流れていく。それは常に一定覆ることはない。常に過去から現在、そして未来へと続くだけ。それが変わることは、この先ずっとあり得ないのだろう。
「今日は此処で」
 ロックを解除して室内に入ると、不思議なことに誰もスタッフが居なかった。
「誰も来ていないってどういうこと?」
 慌ててディスプレイを起動しスケジュールを確認すると、しっかりと今日の予定としてネアンのテストが組み込まれている。メモらしいものがあるかを探してみるが、それらしい紙はどこにも見あたらない。コールボタンを押し内線を飛ばしてもみたが、呼び出し音が鳴りっぱなしで応答する気配はなかった。
「こんなこと、予想外だわ」
 こんな事は今まで一度もなかったはずだ。時間を間違えたのだろうかと腕時計で確認するが、予定時刻よりも十分ほど早い程度。早すぎると言うことは無いらしい。それなのに、今この部屋でスタンバイしている人間は一人も居ない。一華の眉間に皺が寄ったところで室内に鳴り響くコール音。慌てて機材の近くに駆け寄り通信ボタンを押して通話を開始する。
「ちょっと、どういうこと!?」
『ゴメン! 一華サン!』
 スピーカー越しに聞こえてきたのは城戸の声だった。
「どうなっているの! 何故ここに誰も来ていないの!?」
 捲し立てるようにそう問えば、慌てたように答える城戸の声が雑音混じりでスピーカーから流れる。
『それがさ、D棟の44321エリアでトラブルがあって、みんな今そっちに行ってるんだ! そっちに戻るまでに一寸時間が掛かるかもしれない!』
「トラブル……ですって……?」

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