ホムンクルスの見た夢

18 

「一華?」
 何時ものように触れようと伸ばした手。だがそれは、目の前の相手に触れることなく宙で止まってしまう。一華が見せる拒絶反応。触れられる事を拒むように取られた距離が、見えない壁を意識させる。
 何故そうなってしまったのだろう。
 繰り返される自問自答。それに対しての答えが見つからず、ネアンはどうしていいのかが分からなかった。一華が生きて良いと言ってくれたから行動を起こしたのに、一番褒めて欲しいと願う人は拒絶を示す。
 今まで頑張ってこれたのは、たった一人の相手に認めて欲しかったから。
 その人が側に居てくれたから、この異常な場所で何とかやってこれた。
 それが今、崩れ始めてしまっている。噛み合わない歯車は、大きく軋みながら壊れていく。感情が上手くコントロール出来無くなった途端、今まで被り続けていた偽りの仮面が少しずつひび割れ、剥がれていくのを感じた。
「いち……か……」
 初めて流れる落ちる涙は、こんなにも温かいのに塩辛くて。唇を濡らしたその味が、心の痛さとに同調するようで気が滅入る。
「おれ……」
 ネアンの居る狭い世界。その中で大切なものは、数えるほどしか存在しない。中でも一番大きな意味を持つのは一華という存在で。何時だって一華の為に何か役に立ちたかった。彼女の負担になりたくないと。たった一つの存在に嫌われたくないからこそ、必死に笑顔で居られるようにと自分を欺し頑張ってきたのだが、それがもう出来ない事を悟る。
 もう仮面を被る事は不可能だ。
 そう思った瞬間、それは当たり前の様に溢れ出てしまったのだろう。依存をしていた。その存在に。そんなこと、当に判っていたはずなのに、拒絶されたという事実で改めて自分の気持ちを再確認することになってしまった。その事実が受け入れられないと。今まで溜め込んでいたものが堰を切ったように溢れ出してしまうと、現実に起こったことが辛く感じ、嗚咽を止められなくなってしまう。
「どうして……どうして……」
 その言葉を言ってはダメだ。それでも言葉は気持ちを裏切り吐き出されてしまう。
「ひとじゃ、ないんだろう……」
 もし、貴女と同じモノであったらなら、ボクは幸せは掴み取れたのかな?
 宙に浮いたまま行き場をなくしてしまった掌。それを堅く握りしめるとネアンは強く唇を噛む。
「おれは……ひとに…なりたいっ……」
 始めて声に出す吐き出す本音。
「いちかと…おなじ…もの…に……なりたいよっ……」
 もう触れる事すら許されないというのなら、矢張りあの時分かれた道のまま。さようならと手を振った方が良かったのかもと。選んだことを後悔するかのように頭を抱え涙を流す。

 ホムンクルスは夢を見る。
 それはとても小さくて、どこまでも脆い儚いモノで。
 まるで花の花びらのように、呆気なく散ってしまう曖昧な陽炎だけれども。
 そこに煌めくプリズムは、確かに小さな幸せの欠片。
 一瞬だけで構わない。
 その時間こそが永遠であれと。
 手に握ったガラス玉の中で、いつまでも輝き続けて欲しい。
 そしてその柔らかな色の夢に、どこまでも包まれて眠り続けることが出来るなら。
 それはどんなに幸せな事だろうかと。

 しかしその硝子の玉は、もう手の中には無いのだ。
 音を立てて砕け散った硝子は、足下に散らばって闇に溶ける。
 光を拾うことも反射することもないそれは、幸せな夢を留めておくことすら出来ずに、跡形もなく消えてしまったのだから。
 そう。既に夢の時間は終わってしまった。
 目を閉ざしていた現実は、今静かに始まったのだ。

「………そう…よね…」
 目の前には一人の青年の姿がある。それは一華自身、とてもよく知っているモノで、今まで触れる機会が多かった相手だ。
 その存在とはいつだって同等であるべきと思い、長い時間を共有してきた。
 その関係が壊れることなど、一度たりとも想像したことはなかったのだが……始めて見せられたその本質に感じた恐怖は、反射的に身体を動かしてしまう。
 考えたくはなかった。その模造品は限り無く人に近くて、境界が曖昧だったから。
 それでも矢張り、現実はその曖昧さを赦してはくれない。
 異質なモノは、どんなに誤魔化したとしても異質なのもので変わる事はない。それが、最終的に一華自身が出した答えだった。
 自分と同じではないモノに対しては、純粋な恐怖しか感じる事が出来ないんだと。そう自覚してしまったのが何よりも悲しくて仕方が無い。
「そうなりたいって思った訳じゃないのに」
 受け入れられないものと、勝手に作った境界線。いつだって、どこかでそれを考えろと警告はでていたのに。自分とそれが違うモノだという事を忘れてはいけないと、何度も何度も忠告されていたはずなのに。何故それ拒んだのだろう。
「私……私は……」
 この状況は、目の前の相手を実験体としてしか見る事が出来ず、同じ生物として愛情を持ち接することをしなかった事に対しての罰なのだろうかと一華は考える。
 改めて自分の創り出したモノの持つ力を目の当たりにして感じたのは、複雑な情緒などではなく、至極単純な感情だ。
「私は、貴女が恐いわ」
 例え、そこに小さく身を抱えて泣いて居る、子供のような存在が有ったとしても。それはいつか、自分の身を切り裂く凶器になり得るかも知れない。
 その存在に入れ込みすぎて、それが己にとっての諸刃の剣であることを自覚するのが遅すぎた。
「でも」 
 小さくされる舌打ち。それが恐くて逃げ出したいと思っても、向き合わなければならないこともあるのだと。受け入れる罪と受ける罰から逃げてはいけないと覚悟を決め、一華は真っ直ぐにネアンと向き合いこう言葉を続ける。
「確かに、私は貴女の持つ力が純粋に恐い。貴女は一体何? 私は一体何を創り出したの? 貴女は本当に、この世界に存在していて良いものだったの? と、未だにその答えは見つけられていないわ」
 その疑問に対する答えはきっとこの先見つかることはないのだろう。だが、やるべきことは何となく分かる。それは思ったよりも単純なもので、互いに一番欲しいと望むものなのだ。
 複雑に絡み合った糸を慎重に解きながら、その先に繋がる真実を正面から見据えるのだと。
 そうすれば、多分道は開けるはず。そう信じたいと願うからこそ、一華は行動を起こすことを選択し動き出す。
「ネアン!」
 今度はしっかりと。相手の名前を呼び、掴み取った相手の手。
「こっちへいらっしゃい!」
 次の瞬間、一華はネアンを連れて走り出していた。
「タチバナ!! これは一体どういう事だ!?」
 背後から聞こえるスライド音。閉ざされていた扉が開かれたと同時に、現れた人間の声が室内に響く。その背後からは、大音量で鳴り響いている警報。異常事態が起こっていることは、施設内に知れ渡っているようだ。
「何故、処分されるはずの献体が此処に……それ以前に何だ!? この状況は!! 何故この部屋がこのような状態になっているんだ!?」
「それは…」
 言い淀んだところでこの状況だ。説明することもなく何が起こったのか理解されてしまうだろう。案の定、目の前の男は信じられないモノを見るように、眉間に皺を寄せながら一華を睨み付ける。
「タチバナ……お前、まさか……」
「ネアン!」
 問いに答える代わりに、一華は動き出す。
「私なんかに触れられたくないかもしれないけど、少し我慢して! 逃げるの! 早く!!」
 返事など待ない。ネアンの腕を無理矢理引っ張り駆けだした先。入り口を塞ぐ相手を押し退け何とか廊下に出ると、出口へと向かって必死に走る。
「献体が逃げたぞ! 逃がすな! 追え!!」
 背後から聞こえる大声と、数人の足音。振り返り状況を確認すれば、数人のスタッフが後を追ってくるのが目に入った。
「……私はっ」
 捕まるわけにはいかない。なるべく距離を縮められないように、より複雑なルートを選択しつつ必死に目指す外界への扉。気持ちが焦れば焦るほど、繋いだ手に込められる力は強くなり、浴びたガラスの破片が皮膚を傷つけ紅く滲む。それでも、突然始まった逃避行は、上手く続ける事などそう簡単では無かったようだった。
 相手が組織である以上、当然軍に匹敵するだけの設備や人員が用意されているのはお約束で。この施設も例外ではなかったらしく、それが表に出てきたことで、状況はより一層芳しくない方向へと傾き始める。まるで創作されたシナリオの典型的パターンな状況に、思わず渇いた笑いすら溢れてくる始末で。
「何よこれは。シナリオとして最悪じゃない」
 全てのものがゆっくりと動いて見えるのは、脳が状況を処理することを拒否しているからだろう。一華は既に考える事を放棄し、ただ状況を眺めるだけの傍観者としてその場所に居たいと願ってしまっていた。
「止まれ! 止まらないと撃つぞ!!」
 その台詞すら現実味が全く無く、まるでスクリーンを通して見ているような錯覚に陥ってしまう。
 実際そうであったらどれほど楽だろう。
 これがただの作られた疑似世界で、自分達はそれを演じるだけの駒という存在だ。
 寧ろそうだったらどれほど良かったのだろうかと。思考が現実を捉えることを止めたいと悲鳴をあげることに歯止めは掛けられなくなっていしまっていた。
「……分かってるわよ、それが逃げだと言うことくらい」
 それでも知りたいと願ってしまったことがある。自分の気持ちと罪の形。その先に選択した未来の行方が、知りたいと願ってしまった。だから。
「……崖っ!?」
 どこをどう走ったのか何て覚えて居ないが、いつの間にか施設を抜け、辿り着いた先にあったのは深い青。開けた視界に地面なんてものはなく、目の前には広く広がる空が見える。ゆっくりと首を動かすと、矢張り思い違いなどではない。そこには切り立った岩肌と、打ち付ける波がしっかりと存在していた。

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