ホムンクルスの見た夢

20 

 女性が言った名前。それを繰り返すように呟いた後、ブレナンは何かを考え始めるように黙り込んでしまう。暫くして納得したかのように小さく頷くと、小さくこう呟き顔を上げた。
「そうか。なら、アンタがあいつの……」
 そう呟き終わった直後、彼女の腕は強く引っ張られる。
「何っ!?」
「黙って付いてこい。こっちだ」
 抵抗をする間もなく一華はブレナンの後を追って歩き始める。この男が何をしようとしているのかが分からないという不安はあったが、不思議とそれに抵抗を示す気は起こらなかった。
 ブレナンの向かった先はショッピングモールの駐車場だった。そこに止められている一台の乗用車。その前で立ち止まると、乗って欲しいと指示を出される。
「大丈夫だって。取って食ったりはしねぇよ」
 その言葉を信用できるほど付き合いが長いわけではないため、一華は暫くどうするべきか悩んでしまう。
「まぁ、知りたくねぇなら止めはしない。アンタとはここでサヨナラで、この話はお終いだな」
 ブレナンにとって、一華がどちらの選択肢を選ぶのかは余り興味が無いのだろう。後部座席に持っていた紙袋を放り込むと、運転席側に回りドアに手を掛けながら大きな欠伸を零し溜息を吐いている。
「…………分かったわ。乗れば良いのね?」
「知りたいって思うならドウゾ」
 強制はしない。選ぶのは自由だと。差し出された手に小さく頷くと、一華は覚悟を決め助手席の扉を開き乗り込んだ。
「アンタはそっちを選ぶんだな。まぁ良いけど」
 彼女がドアを閉めたことを確認した後、ブレナンも運転席へと身体を滑り込ませる。低く響くエンジン音と伝わる微弱な振動。随分レトロなカーオーディオには、今時珍しいカセットデッキが付いていて。乱雑にダッシュボードに置かれたテープの中から適当に選んだそれをセットすれば、すり切れるようなノイズが繰り返された後で流れ始める懐かしいメロディ。
「選曲については文句は受け付けねぇぞ」
 それに小さく頷くと、彼は「そうか」とだけ呟き運転に専念し始めた。
 低く響くテノールが、カーステレオから流れるメロディに乗り車内に響く。声で歌うでもなく繰り返されるハミングが、何故かとても心地良く感じてしまう。唐突に始まったドライブは、特に交わす言葉もなく静かなもので。ブレナンから何も話しかけられる気配がない事に、一華はどうすれば良いのか分からず困ってしまった。仕方なしに窓の外を流れる景色をぼんやりと眺めていると、町中から郊外へと移り変わっていく。そうやって辿り着いたのは一件の家の前だった。
「ここは?」
「俺ん家」
 先に降りたブレナンがあっさりとそう返す。
「貴方の家……」
 後部座席の荷物を手繰り寄せ抱えると、彼はコートのポケットを漁り鍵を取り出しながら歩き始めてしまった。一華も慌てて助手席から抜け出し後を追う。閉ざされた扉はシンプルな造りの木製のもので、真鍮の鍵穴に溝の刻まれた鉄の棒を差し込み回せば、小さく音を立ててそれは簡単に外れた。
「さぁ、どうぞ」
 入ってくれと手でされる合図。一応は、躊躇ってみせはする。それに対してブレナンは肩を竦めるだけで、特に何も言っては来ない。どうやら用意された選択肢は一つしかないらしい。一華は覚悟を決めると、大人しくその指示に従い家の中へと足を踏み入れることにした。
「随分と殺風景……」
 なのね。建物に入った時に感じた印象を呟こうとした瞬間、突然何かに抱きつかれて驚いてしまった。
「っっ!!?」
「ブレナン! お帰り!!」
 自分の身に何が起こっているのか分からず、頭が混乱してしまう。知らない誰かの腕が自分の肩に巻き付いている。それは思った以上に力強くて、簡単に解くことが出来ない。それなのに、一華に突然抱きついてきた何かは、思った通りの反応が返されなかったことを不思議に思ったのか、ゆっくりと身体を離して彼女の顔を覗き込んできた。
「あれ? ブレナン……じゃ、ない……?」
 目の前に現れたその人の顔は、とても良く覚えて居るもので。
「……そんっな……」
 耳に届いた声も、忘れるはずもない懐かしいトーン。一華は伏せていた顔を上げると、真っ直ぐにその人の姿を捉え、声を震わせながら口元を手で覆う。
「うわっ!!? ごめんなさい! ブレナンかと思って、俺……」
 抱きついてきた相手は慌てて彼女から離れると、罰が悪そうに肩を落としつつ、素直に取った行動を謝ってくれる。
「ネアン……? ネアン……なの……?」
 だが、そんなことはどうでも良かった。今目の前に居るのは、ブレナンという人物にとても良く似た雰囲気を持つ男性で。それは一華が探し求めていた相手にとても良く似ているのだ。
「え? それは誰のこと? あの……あなたは……誰……ですか?」
 それでも、欲しいと思った言葉は一華に返されることはなかった。誰のことかと問われてしまい、彼女は次に出る言葉を見失ってしまう。どうすれば良いのか分からずその場で固まっていると、いつの間にか隣に立っていたブレナンが慰めるようにそっと肩を叩き言葉を掛けてくれた。
「まぁ、こんなトコで立ち話も何だし、奥にどうぞ。コーヒーくらいは淹れてやるよ」
「……ええ……」

 ふんわりと香るコーヒーの香りが鼻を擽る。
「インスタントで悪いんだけど、文句は言わないでくれよな」
「そんなことは言わないわ」
 差し出されたカップを受けとりながら、一華は表情を柔らかく崩しながらそう答えた。
「ネオ!」
 持っていたカップが彼女の手に移ったことを確認すると、ブレナンは大きな声で同居人の名を呼ぶ。
「何? ブレナン」
「少しばかりこの人と話をするから、適当に遊んどけ」
 ブレナンにネオと呼ばれた男は素直に頷くと、そのままソファに身体を預けて置きっぱなしなっていた本を読み始めてしまった。
「……………………」
 こうしてみると、本当にそっくりだと一華は思う。彼の座るソファは決して小さいものでは無いはずなのに、揃えてあげた両足の膝に持っていた本を広げて乗せる癖は、一華の記憶の中にある映像と全く同じもので。それを懐かしむようにぼんやりと眺めていると、唐突にブレナンから声を掛けられた。
「あのさぁ……あれって、アンタが作ったもんなんだろう? 橘一華、さん」
 こちらへドウゾと誘われたダイニングには、シンプルなデザインのテーブルセットが置かれていて。思ったよりも広いテーブルと、四脚の椅子がワンセットになっているそれは、随分と年期が入り使い込むことで出た深みというものを醸し出していた。引かれた椅子に腰掛けると、向かいにブレナンが腰掛け、大きく背伸びをしてみせる。
「……何故そう思ったの?」
 ネアンから視線をブレナンへと移しながら一華は尋ねる。ブレナンはと言えば、手に持ったカップの中の液体で喉を潤した後に、放置されていた灰皿を手繰り寄せると、ボックスから取り出した煙草を咥え火を点けてから、身体に悪い煙をゆっくりと吸い込んでいた。
「あれの素体が誰なのかを知ってるから、だな」
 言われた言葉の意味が直ぐには分からなかった。それを何度か繰り返し、漸く辿り着いた一つの可能性に、一華は弾かれたように顔を上げ声を荒げる。
「……つまり、……貴方は…細胞提供者ってこと!?」
 その可能性は高いのかも知れない。そう一華は思った。実際、あの場所で無意識に声を掛けてしまったのも、目の前で煙草の煙を愉しむ男性の姿が、探していた者の雰囲気と良く似ていたからだ。同一細胞から作られた複製物だとするならば、その勘違いも当然のことなのかも知れないと。だが、それを否定するかのようにブレナンは首を左右に振る。煙草を持っていた方の手を上げゆっくりと動かすと、彼は一華を指しながらこう呟いた。
「それは半分当たりで半分ハズレだな」
「どういう……こと……?」
「正確に言うと、あの細胞の持ち主は俺の従兄弟。もう今はこの世に居ねぇやつだよ」
 そう言って一度席を立つと、ブレナンは持っていた煙草を咥え部屋から出て行く。
「えーっと……ああ、あったあった。ほら、コイツだ」
 戻ってきた彼の手に握られていたのは一冊の薄いフォトブックで。ページを数枚捲ってから映し出された被写体を指さし、一華へと手渡しながら説明を始める。
「因みに、こっちが俺ね。……で、こっちが細胞提供者」
「……似てる……わね」
「まあね」
 そのページに収められている切り取られた思い出には、雰囲気の良く似た二人の男性が肩を組んで笑っている絵が写されていた。
「俺とコイツはさぁ、母親が一卵性双生児の双子だったんだよ。互いに同じ年に生まれたこともあって、よく兄弟と間違われたっけなぁ」
 よく見れば二人の人物はやっぱり違う人間だという事は分かる。片方は活発的な雰囲気に小麦色に焼けた肌が特徴的で、良く鍛えられた身体をしているのに対し、片方は肌の色が白く、控えめな雰囲気で。体格こそ余り差が無さそうには見えたが、遠慮がちに笑う大人しい笑顔が印象的ではある。
「コイツ、随分前に他界しててさ。早くに両親無くしてっから、何故か遺言を俺に託してたんだよね」
 先端に溜まる灰を灰皿にたたき落とすと、寂しそうにブレナンは言葉を続ける。
「で、俺は言われた通りに、臓器やら細胞やらを研究施設に提供する手続きを行ったって訳だ。死んでまで人の役に立ちたいだなんてさぁ……俺には良く判らないけど、アイツらしいといえばアイツらしいかな?」
 未だ燻り続ける火は、フィルターから空気を吸い込む度に赤い色を放つ。
「で、俺が提供した細胞の一つがアレなんだろう? 作ったのはアンタ。多分、間違ってないよな?」
「……そう……言う事……」
 何てことは無い。説明されてしまえば実に簡単なことだ。目の前で煙を愉しむ相手は、矢張り完全な他人ではなかったというだけの話。
 数奇な運命というのは確かに存在するらしい。奇妙な巡り合わせでは有ったものの、再びこうして自分の作り出した命に出会えることが出来たことに、一華は静かに胸を撫で下ろす。

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