ホムンクルスの見た夢

04 

「僕の……意見?」
 今までネアンに対して、一華がそのような提案をしてくることはなかった。一華だけではない。ここで働くスタッフは誰一人として、この部屋に棲まう住人に行うテスト以外での選択肢を求めてくることはない。だからだろう。突然与えられた条件に、ネアンがどう反応するべきなのか判らず固まってしまったのは。
「色々と頑張ってるからね。偶にはご褒美と言う事よ」
 そう言葉を続けながら、一華は微笑む。その笑みの裏側にあるものが小さな罪悪感だと言う事に、気付かれないで欲しいと願いながら。
「ご褒美」
 しかし、そんな彼女の心配など杞憂に終わった。ネアンは出された提案の方が気になって仕方無いようで、一華の言葉を噛み締めるようにして呟いた後、真剣に考え始めてしまっている。
『ご褒美とは一体どういう事だろう?』
 言葉の意図が分からないと。何故なら、ネアンの知る「ご褒美」という言葉の意味は一つしかないためだ。考えて思いついたものは、「プレゼント」というもののこと。しかし何故、今それを提案されたのか。それがどうしても思い付かなかった。
 「頑張っている」からと一華は言う。この言葉にある意味が、どうしても分からない。自分は何を頑張っていると言うのだろう。
『テストの結果が良かったこと?』
 でも、そのスコアはここ数週間同じ数値を保ったままだ。
『嫌がらずに薬を飲んでるから?』
 それも、ここでは当たり前の事。頑張ったところで、プレゼントを貰えるほどのことだとは思えなかった。
 それでも一華はこういった。『ご褒美』だと。それは、ネアンにとって当たり前のことが、一華には頑張っているように映っているということなのだろうか。
 確かに、一華が相手の時と、他のスタッフが立ち会う時とではスコアに若干のばらつきがある場合もあったが、それは、ネアンが一華に褒めて貰えるのが嬉しいと感じているためだ。「おめでとう」の言葉は誰にも等しく意味を持つ音の集合体だというのに、それを言葉として紡ぐ相手によって、感じ方は異なる。それを貰いたいと願う相手から伝えられること、それを言う時の相手が喜んだ顔が何よりも好きで。だからこそ、彼女が立ち会う時はいつも良いデータを結果として残せるようにと、無意識に努力をしていたのかもしれない。ただ、それはネアン自身のため。自分が欲しいと思う反応を引き出したいという身勝手さから行っていることで、見返りを求めず頑張っていた訳ではなかった。
「一華……」
 それでも今、一華は自分にご褒美をくれるという。そこで思い出したのは先ほど見た映像。
「そうだ! 一華」
 ネアンは思い出したように手を叩くと、慌てて本棚へと駆け寄る。ベッドに乗り上げ引っ張り出したのは一冊のアウトドア雑誌。一華がこの部屋に現れるまでネアンが眺めていたそれだ。
「あのね、一華」
 紙同士が擦れ合う音。目的のページにはノンブルがない。だからこそ、こうやって捲りながらあの写真が掲載されていた頁を探す。
「あっ! あったあった。一華、僕、コレと同じ物が見たい!」
「これ?」
 見つけ出したページはフォトグラファーが撮った美しい画像。得意げに笑いながら、ネアンがそれを指刺す。一華の目に映るのは、コート紙に印刷された切り取られた風景。見開き一面を贅沢に使い、大きく映し出された自然の姿が、室内灯の明かりを反射する光沢のある紙の上に収められている。青い空と緑の地面と。本来なら無限に広がるそれは、限られた有限の中で精一杯己を主張していた。
「場所は……」
 このページに掲載されている場所は、確かに現実の世界で存在しているもののようだ。だが、残念なことに、この場所を示す情報は記載されていない。どこにあるのか分からない美しい風景。ここに行きたいとねだられても、場所が分からない以上、同じ場所に連れて行くことは不可能で。それ以前に、外出が許されるかどうかすら定かではないのだ。その提案は難しいのだと一華は表情を曇らせる
「……駄目……かな?」
 手元の雑誌に落として居た視線を上げると、目の前には残念そうに眉を下げるネアンの顔があった。
「一度も本物の青空を見たことがないんだ。だから、一度で良いから見てみたい」
 そう言われて、一華は数日前に見た空を思い出した。
 ガラス越しの世界。この研究所に配属されて、一華自身もほとんど外出をすることがない。あの日見上げた空は確かに曇りのない蒼だったのに、それを肌で感じることはなかった。そう思えば思うほど、未だかつて一度も、それを感じた事がないと訴えるネアンが可哀想に思えてしまう。
「そうね」
 この提案は駄目だと頭のどこかでブレーキがかかる。
「ここと同じ場所で無くても良いのなら、外出が出来るかどうか申請してみようかしら」
 それでも、言葉はそれを振り切り吐き出されてしまった。
「本当に!!?」
 期待をさせるのが良く無いのは分かっていたはずなのに、その言葉はもう相手にしっかりと伝わってしまった後だ。後悔しても遅い。
「外出出来るかも知れないって思って良いの?」
 ほら見ろ、言わんこっちゃないと。呆れた自分がそう呟く。叶うかどうかも分からない提案に、その言葉を真剣に受けとったネアンが、随分嬉しそうにはしゃいでしまっているではないか。一体どうするんだと攻められても、何一つ文句は言えない状態。
「今日の天気はどうなっているのかしら」
「え?」
 彼が嬉しそうに笑う度、一華の心が痛みを訴える。ぶれ始めた感情のベクトル。必死に冷静さを保ちつつ取り出した携帯端末で、確認するのは本日の天気情報。バックライトを点灯させ、起動させた検索画面に打ち込まれていく検索ワード。レイコンマ何秒で表示された情報は、一華の願いも虚しく快晴を示すマークがどの時間も並んでいた。
「丁度、天気は快晴みたいね」
 そう言って小さく溜息を吐いた後、一華は持っていた雑誌をネアンへと返す。
「少し待ってて。申請が下りるかどうか試してくるわ」
「一華!」
 次の瞬間、一華は踵を返すとそそくさと部屋を出て行ってしまった。部屋にはネアン一人だけが残される。今言われた言葉はなんだって? 頭の中で繰り返すリフレイン。
「……本当に……連れて行ってくれるのかよ」
 返却された一冊の雑誌。閉じられたページを再び開き、美しく映し出された写真をぼんやりと眺める。ネアンが分かるのは提供された映像資料としての情報。其処に広がるのは、視覚以外の五感で感じる事の叶わない、切り取られた自然の風景である。
「申請が下りるかどうかって言ってた」
 淡い期待は持たない方が良い。頭では理解している。この部屋が自分に与えられた最大の自由だと気付いた時から、望むものはどこまでも小さくあるようにと欲望に蓋をし続けてきたのだ。
「でも……一華と一緒に見たいなぁ……コレ…」
 本当は冷たい紙の感触じゃなくて、もっと肌で空気を感じてみたい。
 白だけで埋め尽くされた空間などではなく、様々な色のある世界に飛び出していきたい。
 いつだって、本心ではそう願っている。例えそれが叶うことのない願いだとしても、そう思うことはそんななに罪な事なのだろうかと悲しくもなる。絶望をしないためにと自分を誤魔化し、あの世界は自分に縁の無いものだと見ない振りをし続けても、その欲は今、確かに小さく芽吹いてしまった。

 もし神様が居るのなら教えて欲しい。何故…自分には……
 
 その答えは、未だ出ることはないまま。ネアンの中で燻り続けていた。

 真っ直ぐな一華の性格上、ネアンにああ言った手前、何もやらずに誤魔化し無かったことにするという選択肢は思い付かなかった。現実味を帯びない欲求だと判っては居たはずなのに、作成した書類を上司に提出する。当然、結果は分かりきったもので。やってはみたものの、上司はいい顔をするはずもなく矢張り渋られてしまった。それでも一華は諦められなかった。あの手この手と理由付けを行い、どうにかして外出許可を出して貰う。最後の方は半ば脅しに近かったが、そうやって無理矢理奪い取った外出許可は、一体何のためだったのだろう。
「………まさか、そんなわけ無いわよね」
 手の中には二人分の外出許可証。ふと、ライリーの言葉が脳裏の過ぎった。
「アレが初めての献体じゃないのに」
 そう言葉に出して呟いたものの、思考と行動は反比例。理念に逆らい取った行動に、最早言い逃れは出来ない状態である。そうこうしているうちに、一華はネアンの部屋のあるフロアに辿り着いてしまった。一度足を止め、ゆっくりと深呼吸をし気持ちを落ち着かせてから顔を上げる。彼の部屋までは数メートル。いい加減覚悟を決めなければならないだろう。
「ネアン」
 ロック解除のコードを入力すると、無情にも部屋のドアは簡単にスライドしてしまう。部屋の主の姿を探し視線を巡らせれば、相手はベッドの上で大の字になって寝ていた。
「寝ているの?」
 折角取ってきた許可証。
「暢気なものね」
 必死になり貰ってきたのだが、このまま無駄になってしまったのだろうか。そんな不安を覚えつつ、彼の寝ているベッド近づき弾き飛ばされ床に落ちたたシーツを手に取る。声を掛けるべきかどうかを考えつつネアンの顔を覗き込めば、こちらの苦労など知って知らずか、憎たらしいほど安らかな表情で寝息を立てていた。
「チャンスは一度きり……だったんだけど、寝ているし仕方無いわね」
 そう言って、持ったシーツを身体に掛け立ち去ろうとしたときだ。小さな力で腕を引っ張られた。
「ネアン?」
 振り返ると瞼を開くことなく言葉を喋ろうとするネアンの姿が目に止まる。
「行くよ。起きるから」
 ゆっくりと開かれる瞼。と未だ眠そうな目でネアンが一華を見る。
「がいしゅつしてもいいの?」
 舌足らずな口調でそう問いかけながら、彼はゆっくりと起きあがりベッドに座り直した。期待が半分、諦めが半分。どちらの選択肢が選ばれても大丈夫だと決めれた覚悟。だが、少しだけ不安の方が勝っている。そんな顔で待たれる返答。
「ええ。許可は貰ってきたわ。でも……」
 でも。そこで一華は言葉を切った。有耶無耶にしてしまえるのなら、まだ引き返せるのではないかという考えが頭を過ぎる。どこまでも意気地がない。迷いを捨てきれない。そんな狡い自分が決断を鈍らせる。
「一緒に行く。一華、僕、見たい」
 それでもネアンはそれを許さなかった。「眠たいのなら寝ていて良いのよ」という言葉が、吐き出されることなく消えていく。少しずつ覚醒し始めた意識で状況を理解しようと考えるネアン相手に、外出許可が通ったという事実を隠そうとしても難しいだろう。ネアンは目を擦り一度大きな欠伸をすると、勢いよくベッドから飛び降り降り嬉しそうに笑ってみせる。
「早く行こう! 一華」
 ああ。これで。完全に誤魔化すことは出来なくなってしまった。諦めなければならないのはどうやらネアンの方ではなく一華の方で。子どものようにはしゃぐネアンが一華の手を取りそう言って微笑むから、喜んで良いのか悲しんでいいのか分からなくなってしまう。

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