ホムンクルスの見た夢

07 

 同伴者として城戸に声をかけたのは正解だったらしい。急遽決まった外出を、想定よりもずっと楽しと思えるている自身に感じた安堵。隣に座るネアンには見るもの全てが目新しく移るようで、次々に湧く興味から矢継ぎ早に質問が投げられる。そんな質問の雨にこうやって落ち着いて答えられるのも、ドライバーとして同行してくれた後輩のお陰だと。その存在が何処までも頼もしく感じ、一華は自然と緊張を緩めた。
「空って、青色って言うんだっけ?」
「そうよ。今日みたいに綺麗な色が青空ね」
 信号待ちで止まった車の中。窓の外を仰ぎ見るネアンの表情は一体どんなものだろう。後ろ姿しか捉えられないため、その詳細は一華の方からは分からない。
「キレイだね」
 窓の外を眺めるその視線は吸い込まれるような青を眺めたまま、未だ動く気配が無い。
「雲がゆっくり流れてる」
 それを追うようにして指を動かしながらネアンが呟く。
「どんな雲?」
「真っ白。なんか、動物の形にも見えるかなぁ」
 一華には見えない雲の形。それを動物に似ているとネアンが言うから、思わずこんな言葉を返してしまった。
「それはどんな動物に似ているの?」
 すると、ネアンは少し考えてからこう返す。
「うーん……ウサギかなぁ?」
 その形は一匹の兎。真っ白い雲の兎だから、それは多分白い兎なのだろう。
「じゃあ、真っ白なウサギなのね」
 ふと思い出すのは一冊の童話。兎が出てくるその話はとても有名な本で、不思議が沢山詰まった小さな女の子の冒険譚だ。
「そっか! うん。そうだね」
 抜け出したい日常。それに起こる小さな変化。そんなものが、彼にも訪れることがあれば、きっと未来は変わるのだろう。だが、それはただの幻想にしか過ぎない。一華は一度、窓の外へと視線を向ける。
「金の懐中時計が欲しかったなぁ……」
 柄にも無く呟いたその言葉は、誰の耳にも届くこと無く掠れて消えた。
 それから先も、ネアンは気になったものを指さしては、「アレは何? コレは何?」と質問を繰り返した。そしてまた、赤いシグナルで捕まった信号。
「あれは信号だよね?」
 ネアンがすっと指を指した先。停止を告げる赤い色の点灯している機械がある。
「そう。信号ね」
「今は赤い色なんだなぁ」
「そう。だからこうやって停車してるの。代わりに横から来る車が動く番ってことね」
「それは知ってる」
 普段なら、一華よりもずっと専門的な知識を保有し、天才的な才能を持て余しているはずの話し相手が、今は何も分からない子供のようにはしゃいでいる。質問されることは誰でも知り得る一般的な情報なのに、彼はそれらを知識としてしか見たことが無い。だからこそ、実物を見て感じる感動というものが大きいのだろう。
「……分かっては居るけど、なんだかなぁ……」
 背後のやりとりを盗み聞きしたい訳では無いが、音を遮る物の無い空間では、意識しなくとも会話は聞こえてしまう。それにやるせなさを感じながら、城戸は小さく溜息を吐く。信号はいつの間にか、赤から青に。それと同時に、周りの車は静かに流れ出す。それに気付き、城戸もその流れを追うようにアクセルを踏んだ。
 まだまだ続くドライブは、城戸の言った通り寄り道をしながら続いている。ネアンからの質問はまだまだ止む気配は無く、一華や城戸がその質問に答える度に、彼は満足げな笑顔を浮かべて頷いた。
「あれは何?」
 手に持ったカップドリンク。刺さったストローから口を離すと、ネアンは目の前に置かれた物体を指さしそう問いかける。
「あれは……」
 ネアンが指を指した先にあるもの。それは一つのポストだった。
「ポストだよ」
「ポスト?」
 ネアンの質問に答えたのは、一華ではなく城戸の方だ。
「そう、ポストって言うんだ」
「何に使うの? 城戸さんは使ったことあったりする?」
「あるよ。使い方はねぇ……」
 ふと、目に止まるショップワゴン。それは、ポストが設置されている雑貨屋が、販促のために置いているアイテムを陳列するためのものだった。アクセサリーや小物に混ざって、様々な絵が描かれたポストカードも売られているようで、一華は無意識にそのワゴンに近寄りそれらを眺める。
「一華サン?」
「ポストカードなんて売ってるのね」
「あっ。本当だ」
 一華の後を追いかけるようにして、城戸とネアンもショップワゴンの前に立つ。
「そうだ!」
 突然声を上げると、城戸は退屈そうに欠伸を零していた店員に話しかける。半ば微睡みに囚われかけていた店員は驚いて飛び起きると、慌てた様子で城戸の質問に答えていく。
「どうやら、切手も売っているようですね」
「え?」
 言い終わると同時に城戸は店員に頼み込み、ペンを貸して貰う。気が付けば一人一枚ずつ。気になった絵柄のポストカードを購入し、貸して貰ったペンでそれぞれメッセージを記入すことになっていた。
「どうしてこうなっているのかしら?」
 ペンを紙に走らせながら一華は問いかける。
「良いじゃないですか。記念ってことで、ネ」
 適当に誤魔化されたところでこの会話は終了。反論は一切受け付けませんと一方的に切られた会話に噛みつくほど、一華は野暮でもない。大人しく城戸の指示に従い、それぞれが思う事をそこに書き込んでいく。
「送り先はどうするの?」
 とは言え、ポストカードを投函するためには受け取る相手が必要だ。
「自分宛に出しちゃえばいいじゃないですか」
 故郷に住む両親や友人、恋人という選択肢よりも先に出た答えに驚いた一華は、思わず吹き出してしまった。
「貴方、いい人とか居ないの?」
 幾らプライベートに踏み込まないとは言え、流石に研究所の外だ。多少の羽目は外しても問題無いだろう。ふと湧いた疑問を素直に口にすれば、少しだけ悲しそうに表情を曇らせる城戸が、困ったように眉を下げ苦笑を浮かべる。
「残念ながら居ないんですよねぇ。だってほら、ずーっと施設に居るじゃないですか。出会いの機会なんて、中々見つけられないですよ」
 そうは言ってみたものの、出会いは探せばいくらでも見つかるだろう。あれだけスタッフの数が多いのだから、好みに合う気になる異性の一人や二人、居てもおかしくないはずである。
「僕、あんまり職場恋愛したい方じゃ無いんですよねぇ」
「仕事とプライベートはきっぱり分けたいってこと?」
「プライベートの時まで仕事の話されるのってしんどくありません?」
「相手によるかしら」
「一華サン、結構ドライ」
 結局の所、受取人を他人に設定するのは考えるのが面倒くさいという結論に至る。何だかんだと住所は研究所の住所を、宛名はそれぞれ自分の名前を書くことで決着した議論。そうして仕上がったポストカードは、届けるための切手代を城戸が負担し貼り付ければ準備完了。後はポストに投函するだけといったところで彼は、イタズラを思いついた子供のような表情で笑って見せた。
「ポストはさ、こうやって、手紙を相手に届けて貰いたい時に使うんだ。今書いたメッセージをこんな風にポストに入れるだろ?」
 言いながら、城戸はネアンにポストカードを投函するようにと指示を出す。
「こう?」
「そうそう。そしたら、決まった時間に、手紙を届けてくれる人が集めに来てくれる」
「ふぅん…」
 その説明で伝わったのかどうかは分からない。だが、面白そうだと思ってくれたことは間違いないようで、持っていたポストカードをポストに投函すると、ネアンが一華の手を取り彼女をポストの前へと誘った。
「一華もカードを入れてよ!」
 何かを期待するかのような瞳。
「これで良いかしら?」
 それに素直に従うと、ネアンは満足そうに笑い大きく頷いて見せた。
「それじゃあ、次の場所に移動しましょうか」
 手の中から無くなったのは三枚のポストカード。
「今度は何処に行くの?」
 どんなメッセージを書いたのか、その内容は届いてみなければ分からない。
「そうですね」
 それが彼らの手元に届くまでは、今暫く時間が掛かる。
「今度は、一華サンがリクエストしたものに近い場所に行ってみましょうか」
 過去から未来へ残されたメッセージはどんなもの?
「それは楽しみだね!」
 それは何の変哲も無い言葉の羅列だろう。それでも……
「それじゃあ、急ごう! 時間は限られた分しかないんだからね!」
 切り取った時間を閉じ込めた思い出の欠片は、いつか思い出される大切な物へと変化するかもしれない。
 時計の針は進む。流れを止めることの無い時間を確実に刻むために。
「うわぁ!」
 この外出の最終目的地として選んだ場所は、随分と広大な面積を持つ施設。
「ここは?」
「キャンプが出来る国営公園ですよ」
 停めた愛車のロックを確認しながら城戸が答える。
「時期的に微妙かも知れませんが、運が良ければイイモノが見れるんじゃないかなぁって」
 先に降り、靴底から感じる感触を楽しんで居るネアンに声をかけ、二人は歩き出す。
「待ってよ、一華!」
 離れる距離に気付いたネアンは、直ぐに二人の後を追いかけるようにして走り出した。
「ゆっくりしてる時間が勿体ないわ。ぐずぐずしてると置いていくからね」
「そんな! 酷い!」
 そうは言っても、開いた距離なんて直ぐに縮まり零になる。異なるコンパスの差は一華の方が分が悪い。
「直ぐ追いつくから大丈夫だし」
「そうね。そうだったわ」
 どんなに比べても埋まらない溝。持って生まれる恵まれたギフトは、どんなに一華が願っても彼女には与えられなかったものである。
「貴方は私と違って足が長いんですもの。だから先に歩き出さないと、私の方が置いて行かれちゃうでしょ?」
「そんなことないよ」
「ハイハイ。そういうことにしておいてあげる」
 今、彼らは周りの人間にどう思われているのだろう。仲の良い友人のグループだと思われているのだろうか。下世話な話題が好きな相手なら、三角関係の男女というメロドラマを妄想するかもしれない。いずれにせよ、彼らが研究者と実験体だという事を知っている人間はこの場所には居ない。それが実に心地良くて仕方が無いと一華は笑う。
「知らない人が一杯居るんだな」
 普段見るのは施設に居る人間だけ。人数こそ少なくは無いが、何年も同じ場所で暮らしているのだ。殆どの人間は顔見知りだというネアンにとって、自由に公園を歩く人達は一人も顔見知りのいない他人そのもの。
「あんまり羽目を外しすぎないでね」
 一華とネアン。彼らの見た目からすると一見、ネアンの方が一華よりも年上に見えるだろう。しかし、実際の所は逆である。嬉しそうにはしゃぐネアンとそれを制する一華の姿は、どことなくアンバランスで可笑しいものだ。

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