モノトーン

08 

 朝の光が眩しい。
「起きろ! レン」
「んー……」
 同室になったリノに無理矢理カーテンを開けられ容赦なく降り注ぐ日の光。
「未だ眠みぃよ…アホ……」
「良いから起きろと言って居る!!」
 無理矢理被っていたシーツを引き剥がされ、腕を掴まれ身体を起こされると、そのまま引っ張られるようにしてベランダへと連れて行かれた。
「……これは…また…」
「んー?」
 寝惚けた頭で見た景色。そこに広がるのは一面の………
「紅い海?」
 このホテルは一度泊まったことがある。自分の記憶が確かならば、このベランダから見える景色は広場になっていたはずだ。だが今目の前に広がるのは真っ紅な色の海。
「……薔薇だ」
 隣に立つリノがぽつりと呟いた。
「……真っ紅な薔薇……百万本の……」
 ふと思い出した昔の記憶。
『百万、百万、百万本のバラを…』
 あの時この広場を見る誰かの隣でその歌を口ずさんだのは誰だっけ?
『窓から、窓から、あなたは見てる』
 忘れもしない。それは多分自分自身。
「まさか……」
 冗談だよな? 夢オチと言うことで片付けてもう一眠りをするべく部屋に戻ろうとした時だ。
「噴水の中に花束があるな。一部だけ白い色が混ざって…」
「花束!?」
 何故それを確かめなければならいと思ったのかは判らない。だが考える寄りも早くレンの身体はベランダの手摺りから身を乗り出し、その花束の存在を確認すると、慌てて部屋をでてその場所へと走り始めていた。
「あの花束、何だろう…気になる!」
 何かの予感がしたのだろう。ホテルから出て真っ紅な海の広がる広場を目指す。
「うっ……」
 広場に辿り着いて思わず絶句した。海だと思って居たものは一面の薔薇。広場全体を深紅の薔薇が埋め尽くしていたのだ。
「そんな……そんな…まさか…」
 それが自分に関係有る何てこと、考えられない。そう頭で否定しながら薔薇の海を掻き分けて噴水を目指す。薔薇の幾つかには棘が残っていたらしく白い皮膚に細かい傷を付けたがそれを構っている余裕なんて無かった。早く、早くあの花束を…
 そうやって辿り着いた噴水。身を乗り出してその中に浮かぶ花束を掴むと自分の方へと手繰り寄せ掬い上げる。
「一輪だけ…白い…薔薇…」
 意味がありげに混ぜられた、他の色と混ざることのない純白。
「何で?」
 訳が分からず困惑していると、花束の中から一枚のメッセージカードがこぼれ落ちた。無意識にそれを眼が追い手が拾い上げる。
「……そんなっ……」
 濡れたメッセージカード。そこに記された文字に見覚えがあった。
「そんな………うそだっ……」
 忘れない。忘れるはず何て無い。余り上手いとは言えず、少しだけ癖の有る字が記すメッセージはたった一言。
『親愛なるレン。愛してる。』
 明らかに自分に宛てたメッセージ。送り主の名前なんて無くてもその犯人が誰なのか言わなくても判っていた。
「馬鹿だろっ、アンタ!」
 この巫山戯ている大量の薔薇の花も、水に濡れた一輪だけ白の混ざった真っ紅な花束も。汚い字で伝えられたメッセージカードを態とらしく残した事も。
「何やってんだよ! こんなのっ……」
 もう駄目だ。もう止められない。
 レンは再び薔薇の花を掻き分けて外に出ると、そのままホテルとは別の方向へ向かって走り出した。
「おい! レン!!」
 背後から響くリノの声。
「スマン! ちょっと家に帰る! 後で連絡する!!」
 振り返ることなくそれだけ伝えると、レンは急いでアルジャンの居る実家を目指した。

「あははっ。何も無くなっちまったなー」
 がらんとしたガレージの中。イーゼルに立てかけられているのはたった一つのカンバス。
「これだけしか残ってねーや」
 其処に在る絵はモノクロの。女性が柔らかく微笑みながら、深紅の薔薇を胸元に持っているだけのシンプルな絵。
「今頃吃驚してるかな?」
 伝わら無くても良い。何か行動を起こすことが大事。
 多分、あれは色んな人に迷惑を掛けただろう。一番伝えたい相手にも不快感を与えたかもしれない。それでも。
「もう、悔いはねぇな」
 何処かしらアルジャンの心は晴れやかだった。小さな事をやり遂げた達成感が彼の中を満たす。
「さて、明日からどうしよう……」
 これで殆ど文無し状態。売れる絵は残っていないから当分は生活に余裕が無いどころか食うのも心配される、そんな感じ。
「困ったねー。俺、生きていけ……」
 そこまで言ったとき、玄関から激しくドアを叩く音が聞こえてきた。
「ん?」
 始めは気のせいかと思った。だがその音は止む気配など無くずっと鳴り響き続けている。
「誰?」
 セールスだろうか? だとしたら関わるのは面倒臭いな。もういっそのこと居留守と偽って無視を決め込もうかと思った矢先に聞こえて来たのは、とても懐かしく、そしてずっと聞きたかった声だった。
「アルジャン! 居るんだろう!? アルジャン!! ぐずぐずしてねぇで、此処を開けろ!! 馬鹿!!」
「……れ…ん……?」
 嘘だ。そんな……信じられない。アルジャンは無意識に耳を塞ぎ頭を振る。
「レン? レン?」
 ふらふらと足が向かう先は玄関。未だドアを叩く音は継続し鳴り響いている。
「アルジャン! おい、アルジャン!!」
 ドアの向こう側に居る相手の声に余裕が無い。
「早く開けねぇと、このドアぶち破……」
「レン!!」
 相手が言い終わる前にアルジャンは急いで鍵を開け扉を開いた。
「レン……」
「やっと……開けてくれた……」
開かれた玄関の扉。その先に立っていたのは、随分とボロボロの格好をした双子の弟。
「ばーか……遅いよ、アルジャン」
 頭なんて寝癖が好き放題跳ねてるし、服やズボンは所々解れたり破れたりしている。腕は何故だか傷だらけで、顔なんて今にも泣き出しそうで。そして左手にはしっかりと水で濡れてくたくたになっている紅い花束が握られていた。
「レン?」
「ん」
 アルジャンの声にレンは小さく頷いて笑う。
「レン? レン?」
「そうだよ。俺以外誰が居るって言うの?」
 今、目の前に会いたいと願っていた人物が居る。
「レンっ…」
 思わず手を伸ばして抱きしめたくなったが、それをぐっと我慢してアルジャンは俯き唇を噛んだ。
「アルジャン?」
「何故…戻ってきたんだ?」
 触れたい気持ちを必死に堪えてそう問いかければ、レンは困った様に眉を下げこう言った。
「アンタが呼んだんじゃないか。『レン』って」
「っっ!」
 もう駄目だ。我慢出来ない。アルジャンは耐えられずに涙を流しレンを見つめる。
「レンっ……」
「あははは。アルジャン、ちょっと良い?」
 こっちに来いと指で指示され不思議に思いながら近付けば、突然レンが拳を振り上げアルジャンの左頬に向かって思いっきり右フックをお見舞いする。鈍い音を立てて決まったそれ。衝撃と痛さでアルジャンは眼を見開く。
「あー! スッキリした!」
 一体何事かとレンを見れば、物凄く嬉しそうに子供のような笑みを浮かべた後、アルジャンの腕を掴み自分の方へと引き寄せて抱きついてくる。
「レン!?」
「馬鹿! 何でもっと早く言わねぇんだよ!!」
 左頬が痛い。だがそれ以上に気になるのは濡れていく自分自身の左肩。
「どうしてあの時扉を開けてくれなかった! どうして行くなって引き留めてくれなかった!」
「レン?」
「どうして連絡を一度もくれなかったんだよ! どうして……どうして……」
 言葉に混ざる嗚咽にアルジャンは狼狽えるばかりで何も出来ない。
「どうしてもっと早く迎えに来てくれなかったんだ!!」
 次の瞬間感じる生暖かな感触。
 一瞬それが何なのか判らず、思考が全てフリーズする。
 漸くそれが離れたところで相手の唇が自分の頬に触れていたことに気が付き、アルジャンは驚いてその部分へと指を這わせる。
「俺だってずっとアンタと一緒に居たいって思ってたんだ。一緒に居たい……一緒に居たいよ……アルジャン……」
 ずるずると崩れ落ちていくレンの身体。小さく震えながら、アルジャンに縋り付くように必死に彼の着ている服の袖を握る。
「戻りたい……アンタの元に……ねぇ、アルジャン……」

「お願いだから嫌いにならないでよ」

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