モノトーン

10 

「待ってよ、レン」
 紅い絵の具を絡めた絵筆をカンバスの上に乗せようと動かしたところでアルジャンの手がそれを遮る。
「何で?」
「貸して」
 持っていた筆を奪われたレンが顔を顰めアルジャンを睨んだ。
「教えて欲しいんだ。何処に色を入れるのかを」
 成る程。そう言う事ね。彼が何をしたいのか判ったレンは小さく溜息を吐くと自分が色を乗せようと思っていた場所を指し指示を出す。
 今までは誰かと行っていた共同作業。それを今自分がしているのだと思うと、むず痒いけど確かに嬉しくも思う。
「ここ?」
 アルジャンが問いかける。
「そう。ここ」
 嬉しそうに笑いながらレンが頷いた。
 その作業は実に簡単で。一枚の花びらの上に色を塗り重ねるだけの単純作業。
「完成?」
 カンバスから絵筆を離したアルジャンが、レンの顔を見て首を傾げる。
「……多分?」
 絵の善し悪しなんて分からない。だからこれが完成で有ると判断するのは難しい。
「レンから見てどう思う?」
 そう聞かれたからレンは困った様に眉を下げて腕を組んだ。
「思ったまま伝えてくれて良いよ」
 言葉を待つアルジャンに視線を移すと、じっと此方を見たまま不安げに瞳を揺らされる。
「……もしかして、ずっと待ってた?」
「え?」
 この絵に悪戯をしたあの日から、多分この人はずっと待っていたのだろう。
「俺が何を言うのかって事」
 そう問いかければ隠すことなく頷かれる。
「そう」
 絵を見てどう思うか。芸術に興味が有る訳でもないから出てくる感想なんて月並みで。
「赤と黒だな…って」
 こんな感想本当に酷い。そう思う。
「でも……」
 ふっと緩む表情。
「黒だけの世界よりは全然良いんじゃない?」
 ごめんな、アルジャン。俺にはこれが精一杯。そんな風に懸命に笑うレンをアルジャンは責める気になれず筆を置くとすっと腕を広げてレンの身体を引き寄せた。
「アルジャン?」
「この絵にどう感想を持たれようと、俺には関係無いよ」
 耳元でそっと囁いた後、温もりを盗むようにアルジャンはレンに擦り寄る。
「大切なのは、この絵にレンが携わってくれたという事実」
 色の無い自分の世界。多分世界の色を知る事は死ぬまで有り得ない事なのだろう。それでも彼は色をくれた。自分の見て居る世界に彼の見て居る世界の色を。描き出したカンバスの上にそっと筆を置いて重ねてくれた。
「この絵はね。レンと一緒に作ったんだ。レンが居なければ完成しなかった。だから……」
 此処に在る世界は、二人で作ったんだよ。アルジャンの手がそっとレンの髪に絡まり肩に落ちる。
「レン」
 肌寒いガレージの中。
「これからも俺の絵に色をくれる?」
 寄り添いあい体温を与え会うのは双子の兄と弟。
「俺一人では描けない絵があるんだ。でもずっと描いてみたいと思って居る絵が有る」
 そう。ずっと描くことが出来なかった大きな白いカンバス。
「もう一度、家族を取り戻そうよ」
 だから色を頂戴。アルジャンがそっとレンの頬に触れ笑う。
「…家族……?」
「そう。父さんと、母さんと、シーラと。そして、お前と、俺。みんなが一つの場所に居て笑っている、そんな絵。ずっと描きたいと思っていたんだ。だから」
 君が俺の目になって、俺の代わりに色を吹き込んで欲しい。
 漸く言えた最後の一言に、アルジャンは恥ずかしそうに笑う。
「…………」
「レン?」
 物凄く恥ずかしくて。でもそれも全部嬉しくて。中々「うん」と言う言葉が出ず、レンは顔を伏せたままアルジャンにしがみつく。
「レン、駄目かな?」
 不安そうなアルジャンの声。
「………じゃない……」
「え?」
「駄目じゃない!!」
 未だ顔が上げられないまま、必死に叫んで出した答え。自分の腰を抱く腕に力が籠もったと同時に、耳元でアルジャンの嬉しそうな声が響いた。
「本当に!?」
 多分彼は今頃、子供のように無邪気な笑顔を浮かべているのだろう。その声から容易に想像が付く。
「本当に? レン!!」
 その問いに何度も頷くことで答えると、アルジャンの柔らかな亜麻色の髪がレンの頬を掠めた。
「レン、有り難う」
 随分と遠回りをしたんだね、俺達は。こんなにも簡単に言葉を交わせば伝わる思いも、擦れ違ったまま大きく溝を作って埋めようともしなかった。解り合うことで失わずに済んだのは互いに残された最後の家族と小さな想い。
「大好きだよ」
 その言葉はどちらが呟いたものだろうか。
 だが、もうそんな事はどうでも良かった。

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