モノトーン

04 

 何故あんな風に突然、アルジャンが態度を変えたのか判らなかった。未だ頭は混乱し続けている。自室に戻って荷物を引っ張り出し段ボールに詰め込む作業を繰り返しながら、レンは延々とアルジャンへの恨み辛みを口に出した。
「畜生っ! 何だよ! 何でそんなこと言うんだ!! 意味わかんねぇよ!! アルジャンのアホっ!!」
 止めたいと思っても止めどなく溢れてくる涙。拭うのも面倒臭くて流し続けていると、そのうち鼻水まで出てきた。
「畜生、畜生、畜生、畜生っ……」
 悔しかった。そう言う風に「要らない」と言われたことが。辛かった。必要とされていない事実を突きつけられることが。そして何よりも…寂しかった。アルジャンの傍に居られないと言うことが。
「……ちく……しょっ……」
 最後の方は言葉に成らず、ただ嗚咽を漏らして泣いた。
 何だかんだと言いながら上手くやっていると思っていたのは自分だけだったのだろうか? 確かに壁は何処かに感じては居た。自由が無いとも思っていた。それでも頑張って来れたのは、彼が自分のことを必要としてくれていたからだ。彼が必要としてくれている事が小さな優越感を生み、それが唯一彼に勝てる何かだと錯覚してしまっていたのかも知れない。
 アルジャンの傍に居る時は前の仲間の元へと戻りたいと思っていたこともある。だが、こうやって改めて必要無い・この家から出て行けと言われると、仲間の元に戻りたいという気持ち以上に兄の傍にいたいと心が嘆いた。何故何時も上手くいかないのだろう。兄を見捨てて家を飛び出し好き放題やってきた事への罰なのだろうか。だとしたら、何もこのタイミングでこなくてもいいじゃないか。
 荷物を詰め込む間、兄がこの部屋に訪れることを期待していた。
『悪い。冗談だったんだ。行かないでくれ、レン』
 そんな風に困ったように笑いながら自分の腕を掴み、甘えるように抱きついて謝ってくれることを頭の何処かで願っていた。だが幾ら待てども閉ざされた扉が開かれることはなく、結局荷物は殆ど段ボールの中へと収まってしまう。
「………何でだよっ」
 開かない扉に八つ当たりしたくなってくる。
「何で来ないんだよ、アルジャン……」
 必要としてよ。行くなって言ってよ。傍にいてくれと言ってくれれば今まで通り、いつもの生活に戻れるじゃないか。
「アルジャン……何で……」
 自分から扉を開いて兄の元に行けばいいのだろうか? でもそれも出来やしない。否定されるのが恐いから。
 暫く泣いた後自分の私物が詰め込まれた段ボールを玄関先に移動する。書き置きで『業者に取りに来て貰うから、その時荷物を渡して欲しい』とだけ残し、必要最小限だけ詰め込んだバッグを持って家を出た。鍵を掛けた後二度と戻るものかと手に持った小さな銀色の金属をポストに入れようかと思いポストに手を掛ける。
「…………っ…」
 どうしてもそれを手放すことが出来なくてレンは唇を噛んだ。たった一つの小さな鍵。それだけが唯一アルジャンへと繋がる何か。これを手放したらもう完全にアルジャンと繋がる物は何も無くなってしまう。
「…………クソッ…」
 ポストの中へと放り込めなかった銀色の小さな鍵を乱暴にポケットに突っ込むと、車のキーを取り出しロックを外す。
「………………」
 未だ期待して待ち続けている。家の扉を開けてアルジャンが引き留めてくれるのを。だから車のドアを開けるのも中に乗り込むのも、その扉を閉めるにもいつも以上に時間が掛かった。車内に身が収まってもエンジンを掛ける気にれずぼんやりとフロント硝子越しに見える通りを眺める。早くしろよ、早くしろよと壊れた機械のように同じ言葉を繰り返し爪を噛み小刻みに身体を揺らすのに、幾ら待っても家のドアが開かれることはない。
「……もう……完全に……要らないって事かなぁ……」
 止めてよ、そう言う事言うの。やっとアンタの事受け入れられるようになったんだよ? 俺。
「アルジャンっ……アルジャン……アルジャン……」
 ハンドルに手を掛けて其処に頭を預け声を殺して泣く。
「嫌だ……そんな事言うな……行かないでって言えよっ……」
 寂しい、寂しい、寂しい、寂しい。ずっとその単語だけが頭の中で反芻している。
「アルジャン………」

 何で……俺が悪いのか? 俺がアンタの絵に勝手に色を入れたから? だから俺の事嫌いになっちゃったってこと? 教えてよ、アルジャン。俺、本当にアンタに嫌われちゃたのかな?

 沈黙を守ればいつかは諦めると思い必死に会いたい気持ちを堪える。レンの事を必要無いと言ってからどれくらいの時間が経ったのだろう。肌寒いガレージの中で、窓から差し込む月明かりに照らされたアルジャンはぼんやりと天井を眺めていた。漸く聞こえて来た車のエンジン音。遠ざかる音に彼がこの家から完全に居なくなったのだと言うことを知る。
「……レンっ……」
 堪えていた涙を漸く流すと、止まらない抑えていた感情が堰を切って流れ出す。
「レンっ……レン……」
 本当はずっと傍に居て欲しかった。レンが例え誰かの物になろうとも、何時でも笑ってじゃれ合えるような。そんな風に隣に在って欲しかった。
「行くなっ……」
 言えなかった言葉。言ってはいけないと思っていた言葉。これがアルジャンの本音。彼に伝えるのを躊躇い、自分の中に閉じ込めて鍵を掛けた本当の望み。
「レン……れ……」
 悔しくて仕方無い。イーゼルには、あの時レンに色を入れて貰ったカンバスが一つ。彼には見れない鮮やかな紅が微笑む彼女の胸元で色を放つ。
「れん……」
 彼が色をくれたから。もう大丈夫だと思って居た。これ以上自分の我が儘で、彼の人生を無駄にして欲しく無いと願ったのが始め。手放す覚悟が出来たのは、たった一枚の絵に彼が色を入れてくれたからだ。
「っ……れ……んっ……」
 白と黒のカンバスの中唯一の色は紅。カンバスを掴みアルジャンは涙を流す。何処にいても幸せでいて欲しいと、もう二度と届かない言葉を呟きながら。

 レンが去ってからアルジャンの絵に一つの変化が起きた。
「これは何色で塗ればいいのかな?」
 アルジャンの傍らには一人の女性。
「この絵だと、この色の方が似合うと思う」
 知人に紹介して貰ったこの女性は美大生で、アルジャンの元へ勉強すると言う名目で通いアルジャンの仕事をサポートしている。
「オレンジ?」
 チューブに書かれた単語を復唱すると彼女は小さく頷いた。
「うん」
 被写体の色が白と黒の世界の中で、人の手を借りて色を乗せる。そうすることで表情の無かったアルジャンの絵に様々な可能性が生まれてくる。
「こんな感じかな?」
「もう少し此処を落とした方が良い」
 余り話し上手ではない彼女はぶっきらぼうな喋り方はするものの、色のセンスは良いらしく、指示は実に的確に出す。
「こう?」
「そう」
 こうやって共同制作で絵を次々に完成させていく。
「出来た?」
「もう少し……此処に……緑を……」
「こう?」
「違う。ここ」
「ああ、ここね」
 言われ場所に指定された色を乗せれば完成だ。
「出来た?」
「うん」
 普段余り表情の無い彼女が笑う。アルジャンの絵が完成するとき、彼女は必ずこうやってとても可愛らしい笑顔を見せる。
「そっか。じゃあ、完成だ」
 彼女の笑顔が絵の完成のサイン。アルジャンは使っていた道具を机の上に置くと、手に付いた絵の具を軽く落としてから彼女の頭を撫でる。
「お疲れ様、フェリシア。有り難うな」
「ううん。先生こそお疲れ様」
 表情の付いた彼の絵は少しずつだが世の中に認められるようになった。元々才能はあったのだ。ただ色がなかっただけで。鮮やかな色彩を持つようになってからと言うもの、彼の絵には少しずつファンが増えてきた。お陰様で安定というにはまだ程遠いが、それでも何とか自分で生活出来るレベルにまで稼ぐことは可能になった。
「終わったのー?」
 ガレージの扉が開き、一人の女性が顔を覗かせる。
「姉さん!」
「あら、フェリシア」
 フェリシアに姉と呼ばれた女性が柔らかな表情で微笑む。
「丁度良かった、ミス・セリンダ」
 道具を片付けながらアルジャンが笑う。
「絵が今完成した所なんだ。どうかな?」
 顎でイーゼルに立てかけてあるカンバスを示すとセリンダは出来たばかりの絵に近付き暫く考え始める。
「うん。良いんじゃないかしら?」
 どうやら特に問題は無さそうだ。
「買ってくれる?」
 そう問うと、彼女は二つ返事で「ええ」と答えてくれた。

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