モノトーン

05 

 天井に上る煙を目で追う。それはやがて空気と混ざり消えていく。
「おい、ヘヴィスモーカー」
 ぼんやりとしていたら不意に後ろから小突かれた。
「でっ!」
「眼を開けながら寝惚けんな! タコ!!」
 振り返ると意地の悪い笑みを浮かべた悪友が立っている。
「あー…ダグ?」
「応よ」
 半分程灰になった紙煙草を灰皿に下ろすとレンは姿勢を変えて椅子に腰掛け直した。
「ホラよ。見付けたから買ってきてやったぜ」
「あー……サンキュ」
 茶色の袋の中には一冊の雑誌。
「兄貴なんだろう? このアルジャン・ラングフォードって画家」
「ん」
 軽く紙煙草の腹を叩いて堪った灰を落とすと、再びそれを口元へと誘う。
「んー…」
 買ってきて貰った雑誌を捲ると特集記事が目に付いた。
「……ははっ。ゴシップっぺー…」
 何時の間にか兄の絵には色が付いた。彼自身が色を識別出来る訳ではないだろうから、多分協力者が現れたのだろう。案の定、特集記事の一部に彼のサポートをする女性が居るとの件を見つける事が出来る。
「……やっぱり…」
 自分には出来なかったことを他人がやってのける。彼の隣に居るのは自分だと思い上がっていたのが恥ずかしくなってくる。
「もう、完全に俺は必要無いんだなぁ……」
「レン?」
 込み上げてくる感情は言葉では説明出来ないほど複雑で。それでも何とか涙を堪え本を閉じる。
「良いのか?」
 隣に座る友人が心配そうに問いかけてきた。
「ん。後でゆっくり読むから良い」
 今此処で読んでいたら、場所を考えず泣き出してしまいそうだから。
「そうか」
 あの日、幾ら待ってもアルジャンが出てきてくれないことを悟ったレンは一人の人間に電話を掛けた。今、彼の隣に座るダグという男だ。付き合いがそこそこ長い彼は、レンの親友とも呼べる間柄だった。事情を話し泊めてくれと頼んでみると、二つ返事で了承を出してくれる。何だかんだと物わかりの良い友人は、ぶっきらぼうだが確かに優しい。彼と彼の従兄弟の住まいにお邪魔してどれくらいの時間が過ぎたのだろう。新しい塒を探す気にもなれず、そのままずるずると居候を続けているが、彼等は自分を追い出すことなくその場所に置いてくれていた。
「明日スタジオの予約入れたけど、テメェも来るよな?」
 ダグが唐突にそんな事を聞いてきた。
「スタジオ?」
「あ? 言っただろう? 丁度今ギタリストが足りねぇんだって」
 そう言えばそんな事を言われた気もする。
「えーっと……」
「丁度良いギタリストが其処に居んだ。活用しねぇ手はねぇだろう?」
 そうだよな? そう言ってダグは笑う。
「また一緒にやっても良いのか?」
 一度は抜けた身だ。少し遠慮が出てしまうのは仕方ない話である。
「何気を使ってんだよ! らしくねぇ!」
 隣に座る友人は、豪快に笑いながらレンの背中を強く叩いた。
「馬鹿言ってんじゃねぇ。俺等はずっと待ってたんだぜ? お前が戻ってくるのをよ」
 ああそうか。レンは小さく頷く。
「待っててくれた? またまた冗談」
「嘘じゃねぇって! 俺もリチャードも。リノもエニスも、みんなお前が戻ってくるのを待ってたんだぜ! レン」
 真剣な顔をしたダグと眼が合う。
「また一緒にやろうや、音楽」
 レンは少し考えた後、ゆっくりと煙草の煙を吐き出しながら笑った。
「仕方ねぇな。テメェがどうしてもって言うんなら、特別に力を貸してやるよ」

 自分の居場所は無いと思っていた。だがそれは思い過ごしだったようだ。久しぶりに足を踏み入れるスタジオで、随分と懐かしいメンバーが顔を合わせる。
「レン…ラングフォード……」
 ダグの後に付いて入ってきた男に、先にスタジオ入りしていた二人のメンバーが眼を見開いた。
「よ! 久しぶり」
 感情に乏しい二人の友人。彼等は暫く無言でレンを睨んだ後、それぞれが好きなように反応を示す。
「また迷惑を掛けに来たんですか? 貴方は」
 そう言って神経質そうにレンを睨み付けるのはエニスという青年。
「苦労事が戻ってきたと言う訳か」
 そう言ってやれやれと首を軽く振ったのはリノという青年だ。
「そんな事言わない! 折角メンバーが戻ったんだから、仲良くやろうって、みんな」
 背後からダグの従兄弟である、リチャードの声が響く。
「お帰り、レン」
「ああ。ただいま、リチャード」
 何だかんだ言いながら、彼らはレンの帰りを喜んでいる。ぶっきらぼうな歓迎に懐かしさを覚え浮かべる笑み。

 こうして同じ見た目をした二人の人間は別々の道を歩み始めた。
 一人は少しずつ名が知られ始めた駆け出しの画家として。
 一人はメジャーデビューを控えるバンドのギタリストとして。
 だが、皮肉にも彼等の運命が重なることはこの後暫くは無かった。
 そうして月日は流れ行く。
 過ぎて行く未来が現在となり過去となる。気が付けばそれぞれがそれぞれの道を歩みその先に広がる光景は全く異なってしまっていた。互いが互いを忘れることは無かったが、それを思い出すこともしなかった。いや…本当は思い出すことが恐いと思って居たのかも知れない。似ているのは見た目だけではなく、心の在り方もそっくりで。しまい込んだ本音を見ないように必死に顔を背けて気付かないふりをしていた双子の兄弟。それでも彼等は幸せだったのだろう。例え小さな痼りを残したままでも、それに眼を向けなければそれなりに楽しく暮らしてはいける。彼等にはそれぞれ友が居て、仲間がいて。個々で違うコミュニティを形成し、少しずつ自分の足場を固めて行った。

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