モノトーン

06 

「先生、お早う」
 そう言って開かれた扉。
「ああ、お早う。フェリシア」
 さて。相棒が訪れたから本日の作業を開始しよう。そう思い手にした絵筆。
「あ」
「どうしたんだ?」
「絵の具。もう、中身少ないから」
 どうしよう。余り感情を表に出さないフェリシアが、ほんの僅かに眉を下げ困ったという顔をする。
「そうだな」
 絵を描くことに没頭すると周りが見えにくくなるのは昔からの癖だ。確かこの辺にストックが…などと呟きながら画材を納めている棚や引き出しを漁るが、気がつかない内に道具は消耗し、一つ、又一つと欠けてしまっている。
「ストック、無いね」
「そうみたいだな」
 弱ったね。フェリシアと同じように眉を下げ、ばつが悪いように笑いながら下げた両肩。
「仕方ない。買いに行くか?」
「買ってくるよ?」
「いや、いいよ。一緒に行こう」
 そう言うと、一度驚いた表情を見せた後、嬉しそうに笑いながらフェリシアがうなずく。
「じゃあ、先生。先に出てるね」
「ああ」
 流石に外出するのにこの格好は無いと言われそうな作業着同然の服装。あまり格好に拘らない方ではあるが、女性を伴って外を歩くには些かマナー違反なそれを脱ぎ、出歩いてもおかしくないという格好に着替える。
「待たせたな」
「ううん。大丈夫」
 先に外に出ていたフェリシアが、アルジャンの姿に気づき小さく首を横に振った。
「久しぶりの外出だ」
 元々出不精気味であったアルジャンが、玄関の扉に鍵をかけながら苦笑を浮かべる。
「先生、外に出るのあんまり好きじゃないから」
「そう言うわけではないけれどもね」
 アルジャンがあまり外出しない理由は、きちんとフェリシアも理解している。だからこそ、フェリシアが調達出来るような日用品や食品等は常に彼女がこの家へと運んでいた。彼女がそれを不満だと感じたことがないことが、唯一の救いで。いつも買い物を頼む度に「いいの。好きでやっているから」と言う彼女に対して、申し訳なさとありがたさを感じている。そして、そのときに必ず、彼女の言葉や仕草を自分の片割れの反応と比べてしまうのだ。
「先生、信号赤だから」
「ああ。そうか」
 アルジャンの目は色を映さない。彼の世界は白と黒と灰色の濃淡だけで。それでも生活をするにはそれなりに適応は出来る。ただ、このように気を緩めた瞬間その適応力が鈍ることもあるため、外出するのには健常者よりもリスクが伴っていた。
「危ないよ」
 右手に伝わる柔らかな感触と暖かさ。
「フェリシア?」
「こうしていれば大丈夫かなと思って」
 しっかりと繋がれた手のひらに僅かに籠もった力。
「迷惑だった?」
「そんなことはないさ」
 自分のことを事細かにサポートしてくれる彼女には本当に頭が下がる。ふと目にとまった店のショウウィンドウ。そのガラスに映る自分たちの姿に僅かに緩んだ顔。恋人というよりは仲の良い兄妹というところか。まるでもう今は居ない実の妹と共に町を歩いているようで嬉しと感じる。
 時々足を止めて寄り道をして。そうやってたどり着いたのは馴染みの画材屋だ。
「どの絵の具が無いんだっけかな」
「よく使う色と今ストックがなかったものはリストにしてきたから。探してくるね」
「ああ」
 ここでもよく気が利くものだと。目で見て色が分からないアルジャンにとって、チューブを直感的に選ぶことは難しい。ここは大人しくフェリシアに任せる事にし、自分はのんびりと店内を物色することにする。
「ついでに筆も買うかな」
 消耗品は使えば使うほど悪くなっていくもの。自分の扱いやすい癖が付くのは良いが、古くなりすぎると逆に使い勝手は悪くなり、その影響は作品にもダイレクトに影響を及ぼす。そろそろ買い換え時期かなと思える道具を物色しながら店内を移動し辿り着いたのは、絵の具のチューブが陳列している棚の前。
「……これは…」
 そこで目にとまったのは一色の色の名前が書かれたチューブだった。
「……………」
 無意識にそのチューブを手に取る。忘れもしない色の名前。実際にその色を見ることは叶わないが、自分にとっては大切な色。
「先生! 全部揃ったよ!」
「ああ」
 そのチューブを棚に戻そうと手を動かすが、考え直してチューブは再び手の中へ。
「これも一緒に頼む」
「筆と……クリムゾン?」
「ああ」
 クリムゾンはまだあったはずだけど。不思議そうにフェリシアは首を傾げるが、曖昧に笑ってその場を誤魔化し会計へ。支払いと引き替えに受け取った商品を抱えると、二人はゆっくりと店を出た。
「何か食べて帰ろうか?」
 丁度小腹が空いたと。適当なカフェを探しながら帰路をのんびり歩いているときだった。
「あれは…」
「え?」
 不意にアルジャンの足が止まる。
「先生?」
 立ち止まったアルジャンはこちらを見ず黙ったまま。その視線の先に何があるのだろうと顔を動かすと、目にとまったのは一枚のポスターだった。
「先生、興味あるの?」
「いや。そうじゃなくて」
 まるで引き寄せられるようにポスターの前に立ち止まると、アルジャンはゆっくりとそれに触れ悲しそうに笑う。
「この人、俺の弟なんだ」
「え?」
 よく見てみると確かに似ているとフェリシアは思った。
「弟さん?」
「そう」
 あの日分かれた後、もう二度と彼の姿を見ることはないとアルジャンは思っていた。
「そうか。頑張っているんだな」
 そう言ったアルジャンの声が安心したような、でも泣きたそうな不思議な音だったため、フェリシアは様子をうかがうようにしてその表情を盗み見た。
「夢を叶える事が出来ているのなら何よりだ」
「……会いたい…の?」
「ん?」
 唐突にそんなことを言われ驚いたのはアルジャンの方。
「いや。そんなことは…」
「嘘」
 まるで心の中を見透かされているかのように向かうまっすぐな瞳に、居心地の悪さを感じて視線を反らす。
「先生。弟さんに会いたいんだね?」
「………会いたくない…といえば、嘘になるかな」
 どうもこの目は苦手だと。あっさりと観念したアルジャンが小さく溜息をつきながら頭を掻いた。
「…………」

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