モノトーン

07 

 フェリシアは暫く考えた後、携帯端末を取り出しボタンを操作し始める。
「フェリシア?」
「この人、知ってる。幼馴染み。一寸待ってて、先生」
 慣れた手つきで目当ての番号を探し出すとフェリシアは携帯端末を耳に当てる。暫くの沈黙の後、彼女は唐突に話し始めた。
「ん、久しぶり。リノ」
 余り抑揚の籠もらない喋り方だが、どうやら嬉しいらしい。ほんの僅かな変化ではあるがフェリシアの声が弾んでいる。
「うん。元気だよ。姉さんも元気。リノは?」
 電話を始めてしまった彼女から視線離すと、アルジャンは再びポスターを眺めた。薄っぺらいコート紙に映る弟の姿。矢張りそこにある色は白と黒だが、久しぶりに見る彼の姿に戸惑いながらも嬉しさは確かに感じる。
「レン」
「そう。チケット。欲しいんだけど、無理?」
 チケットという単語にアルジャンの肩が跳ねた。
「うんとね、先生が弟に会いたいって。それでチケットが欲しいの」
 跳ねる心臓が鼓動を早くする。これはもしかして期待してしまっているのだろうか。
「えーっと…一寸待って」
 其処で一度フェリシアは会話を止めアルジャンのコートを引っ張った。
「先生。弟の名前は何て言うんだ? ってリノが」
「あ、レンだよ。レン・ラングフォード」
「判った」
 フェリシアは小さく頷くと、再び電話の相手の会話に戻る。
「レン・ラングフォード」
 レンに会えるかもしれない。そう思うと自然と表情が緩んだ。
「え? そうなの? そっか」
 フェリシアの声のトーンが突然下がる。
「ううん。平気。無理言ってごめんね」
 その口振りから、どうやら結果は良くない状態だったことが覗えアルジャンの表情は曇った。
「先生」
「……判ってる。無理だったんだろう? フェリシア」
 始めから期待をする方が間違いだったのだ。
「ごめんなさい」
 罰が悪そうに顔を伏せるフェリシアに、アルジャンは優しく頭を撫でると穏やかな声で囁く。
「ううん。フェリシアの方こそ有り難うな。突然悪かったよ。我が儘を言って」
 そうだ。始めに彼の手を離したのは自分なのだ。今更会いたいだなんて虫が良すぎる。アルジャンは湧き出た欲求を振り払うように頭をふると帰ろうと言ってフェリシアに手を差し出す。
「先生…」
 フェリシアの指先がアルジャンの手に触れそうになった瞬間だ。
「あっ」
 彼女の携帯のヴァイブレーションが規則的な振動音を響かせた。
「メール?」
 不思議そうにディスプレイを覗き込んだ彼女が小さく声を上げる。
「先生!」
 顔を上げたフェリシアが、持っていた携帯端末をアルジャンの方へと寄越した。
「此処。前日にリノ達が泊まるホテルだって」
 彼女が差し出した携帯のディスプレイに表示された文字。そのホテルの名前には覚えがあった。
「添付写真もある。一寸待って」
 フェリシアが一度自分の方へと携帯を向け操作を始める。直ぐに画面に添付されが画像を表示させると、再びアルジャンの方へと端末を寄越した。
「この広場は……」
 随分と懐かしい場所だとアルジャンは思う。まだ両親も妹も健在で、弟とも仲が良かった頃。家族全員でそのホテルに泊まったことがあった。窓を開けて外を見ると、直ぐ目の前には大きな噴水のある広場。とても綺麗な石畳が印象的なそれに、アルジャンは思わず見とれ溜息を吐いた。
『何見てんのさ?』
 携帯用ゲームの画面から顔を上げた弟が隣に立ち、自分の見ている物を見ようと視線を彷徨わせる。
『ん? 広場』
 そう言って見て居た先を指差すと、弟はつまらないとでも言いたさげに頬を膨らませた。
『広場って……何もねぇじゃん』
『そうでもないよ。ほら。彼処には噴水があって、彼処にはお爺さんが座っている。鳩も居るし木もあるし。石畳がとっても綺麗に敷かれてるじゃん』
 そう言って笑うと、弟は理解出来ないと首を横に振り盛大に溜息を吐いてきた。
『アンタの趣味は判りません』
 もう興味を無くしたのだろう。弟は持たれていた手摺りから身体を離すと部屋の中へと戻ろうと足を動かした。
『百万、百万、百万本のバラを……』
 何気なく弟が口ずさんだメロディ。それは随分古い時代に流行った何処かの国の流行歌。
『窓から、窓から、あなたは見てる』
 何故かその歌とこの場所が被って見え、その広場の記憶は見たこともない紅い色をしたバラの広場としてアルジャンの記憶の中に残った。
「あの時の広場だ」
「え?」
 アルジャンの声にフェリシアは驚いた様に声を上げた。
「何でも無いよ! で、フェリシア。彼等が其処に泊まるのは何時?」
 アルジャンは何故かそう彼女に尋ねていた。
「ライブが週末だから、金曜日から土曜日にかけてってメールには」
「そうか!」
 アルジャンの顔に笑みが戻る。
「フェリシア、有り難うな!」
「先生?」
 例え彼に会えなくても、何かをすることは出来るだろう。
「帰ろうか! フェリシア」
 妙に心が躍るのは気のせいなんかじゃないと思う。
「うん」
 急に態度の変わったアルジャンに戸惑いながらも、フェリシアは何時ものように彼と手を繋ぎ歩き出す。
「会いに行くの? 弟に」
「判らない。今は未だ」
 そう。本当に会いに行けるかどうかは判らない。だから残った時間でそれを行動に移そうと思う。
「そうだ。あのさ、フェリシア」
 一つお願いがあるんだけど。そう言って彼女に頼んだ頼み事は、弟に土曜日の朝に広場を見て欲しいと伝えてくれ。そう幼馴染みに頼んで欲しいと言うこと。
「……判ったけど、何か有るの?」
「それはまだ秘密」
 多分彼なら気が付いてくれるだろう。それが何を意味するのか。もし判らなくても構わない。そう。それが彼の中に残れば十分なのだから。
「そう。それでいいんだ」
 アルジャンは自分に言い聞かせるように呟くと、楽しげに帰路を急いだ。

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