モノトーン

08 

 あっと言う間に時間は経つもので、気が付いたら金曜日。何時もより少し早い時間。偶然にもあの後リノから連絡を貰い、ライブのチケットを手に入れることが出来たフェリシアは、アルジャンの喜ぶ顔が見たくてアルジャンの家へと通じる道を急いで歩いていた。
「先生?」
 渡された合い鍵で家のドアを開け中に入る。
「先生? 起きてる?」
 しん…と静まりかえった室内。何時もと違う雰囲気にフェリシアは小さく首を傾げる。
「先生?」
 ふと玄関脇のサイドボードに眼をやると、小さなメモ用紙に大雑把な字でフェリシア宛ての伝言が残されていた。
『用事があって出掛けてきます。今日は何時戻れるか判らないから帰っても良いよ。アルジャン』
「……用事?」
 そんな話は聞いていない。手に持った二人分のチケット。どうしようかと迷い、その内の一枚を抜き取ると、封筒に入った方をサイドボードに置きメモ用紙の裏にアルジャン宛の伝言を残す。
『チケット手に入りました。土曜日、都合が良かったら連絡下さい。フェリシア』
 帰って来れない相手を待っていても仕方無い。フェリシアはそっと家から出ると鍵を掛けて家路に着く。
「先生…何処に行ったんだろう」

 自分が持っている描いた絵はたった一つのカンバスを除いて全て売り払った。今まで貯めた金と、新しく売って作った金。ありったけのそれを鞄に詰めてアルジャンは有る場所を渡り歩く。
「すいません」
 扉を叩き顔を覗き込ませたのは花屋。
「はい」
「この絵の具と同じ色の薔薇を、この店に有る分全て譲って貰えませんか?」
 そう言って店中の深紅の薔薇を買い集め、指定した時刻にこの場所に持ってきてくれるよう頼みお金を置いて出て行く。そうやって一日をフルに使って何件もの花屋を梯子した。花自体の値段はピンからキリだが、これだけ大量に買い、その上配達もして貰うのだ。大量にあった金は面白いほど簡単に無くなっていく。持っていた金が底を付き始めた頃、アルジャンはこの町にある最後の花屋の扉を叩いた。
「すいません」
 店の奥から現れたのは随分と老齢の女性。
「おや、まあ」
 彼女はニコニコと笑いながらどのお花が欲しいの? とアルジャンに問いかけてくる。
「えっと……この絵の具の色と同じ薔薇の花を……」
「あらあら。真っ赤な薔薇かい? 恋人にでも贈るのかね?」
 恋人。その表現は違う。
「いいえ。そうじゃないんですが」
「それなら奥さんかい?」
「違います。でも、大切な人です」
 恋人でもなく、伴侶でもなく。それは大切な自分の家族で半身である存在。
「あらあら」
 老婆は楽しそうに眼を細めると指定された色の薔薇を丁寧に纏めてラッピングしてくれる。
「あの…」
「紅い薔薇の花言葉を知ってるかい? お前さんは」
 このお店にある薔薇を全て譲って欲しいと言い出す前に、老婆に言葉を遮られ話掛けられた。
「……いえ。残念ながら知りません」
 何故かそう答えるのが申し訳無い事のような気がして、アルジャンは無意識に小さな声で返事を返した。
「紅い薔薇はね…」
 しかし老婆はさほど気にする様子もなく話を続ける。
「とても一途で強い恋情や愛情を意味するんだよ。燃えるような情熱をね」
 燃えるような情熱と恋情や愛情。今更乍らにして紅い薔薇の花言葉を知り、アルジャンは口元を抑え狼狽える。
「あ……えっと……」
「あらあら。お前さん」
 そんなアルジャンの反応に老婆は楽しそうに笑った。
「お前さんは紅い薔薇というよりは寧ろこっちの方が似合うかしらね」
 深紅の薔薇の花束の中に一輪だけ差し込まれた白い薔薇。
「白い薔薇は純粋。清らかな愛を意味するんだよ。お前さんにはこっちの薔薇の方が似合っているかも知れないわね」
「……そんな事無いです」
 老婆がこさえた花束を受け取りながらアルジャンは困った様に笑う。
「俺はそんなに綺麗な人間じゃないから。だから多分、一杯アイツの事を傷付けてる」
 自分の眼には黒にしか映らない紅。その中で矢張り白はやたらと映える。
「人間何てね、みーんな何処かは汚れてしまっているんだよ」
 目の前の老婆が穏やかな声でアルジャンに話し掛ける。
「汚くない人間なんて居ない。居るとしたら赤ん坊くらいなもんさね。だから汚くてもそれで構わないんだよ」
 しわくちゃの手をそっと重ねられ、アルジャンの心を宥めるようにゆっくりと撫でられる。
「それでも、人に向ける感情って言うのは何処までも純粋で綺麗な物なんだよ。それが愛情であろうが無かろうが、それはとても真っ直ぐで混じり気がない」
 老婆の言葉がアルジャンの心に染みる。
「この花束を受けとって欲しい相手にお前さんが伝えたい気持ちは何だい?」
「……判らない」
「判らないかい。まぁ、それでも構わないだろうね。それでも…」
 そこで老婆はゆっくりと触れていたアルジャンの手から手を離し、束ねた花束の花を愛でるように軽く撫でた。
「お前さんは花を選んだ。それがそのまま相手へと伝わるものなのさ。お前さんの心を花が代わりに伝えてくれるだろうよ」
「……本当に……」
 そうだろうか。
「さあね。答えは相手がこれを受けとってくれたときに自ずと出てくるだろうね」
 さあ。老婆がゆっくりと歩き出し店の扉を開く。
「行きなさい。待って居るのだろう?」
「でも……」
「気にすることはないさ。ほら、早く」
 残った金で花束の代金を払おうとすると、老婆は困った様に眉を下げアルジャンの背を押して店から追い出した。
「婆さん!」
「お金は要らないよ! さっさと行って気持ちを伝えて来な! もしお前さんの気持ちが相手に伝わらなかったら、その時は改めて此処を訪れると良い。お金はその時に受け取ろうじゃないか」
「でも!」
 何時の間にか店の灯りは消えて居る。閉ざされた扉。それが開く気配は無い。
「………気持ちは…伝わる…か」
 手の中には老婆が作ってくれた一つの花束。
「迷ってる暇はねぇや。行くか」
 何かを吹っ切るようにそう言葉に出して呟くと、アルジャンは有る場所を目指し歩き出す。たった一度キリのサプライズを完遂させるために。

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